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Monday, 20 March 2006

翻訳は「間に合わせ」- 金原瑞人 "Scrap and build" is for books in translation - Mizuhito Kanehara

4895000834

■日本語原文 The original text in Japanese

3 村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
 あちこちで様々に取りざたされているが、以前の野崎訳とわざわざ細かく比較するまでのこともないと思う。「新しくなった」、この一言で十分ではないか。
(中略)
 そもそも四十年も前の訳と比較して云々すること自体、ばかばかしい。翻訳なんて、新しいものがいいに決まっているのだから。古い訳のほうが新訳よりいいなんて、よっぽど間抜けな人間が新訳をやっていないかぎり、まず考えられない。
 考えてみれば、翻訳というのは、あくまでも「間に合わせ」にすぎない。外国語のオリジナルがあって、それを現在の自国の状況と言葉で捉えて、その国のその時代の人びとに提供する一時的な「間に合わせ」なのだ。一時的に像を結んだヴァーチャルな時空間といってもいい。それを構成しているのは、訳した人の社会的・文化的・言語的・個人的なものが醸造したその人の言葉である。
 それに対して、オリジナルは強い。確固とした存在を誇っている。たとえば高校生の好きな小説ベスト10には、いまでも漱石の作品がいくつか登場する。しかし、当時の翻訳書は決して登場することはない。(中略)昔の翻訳書なんて、歴史的、学問的価値しかないのだ。いまどき、岩波文庫の『十五少年』(森田思軒訳)を読むのは、ずいぶんとマニアックな人間か、その手の研究をしている人以外にはいないだろう。ほとんどの人が新訳を読む。
(中略)
 というふうに、やはり翻訳はあくまでも「間に合わせ」であり「その場しのぎ」にすぎない。そもそも、あと二十年たったら、村上訳だって、古くて読めなくなるにきまってる。(中略)

 こういうふうに考えてくると、やはり翻訳というのは新しいほうがいいのだ。よっぽど下手な人間が訳せば別だろうけど、新しいに限る。
(中略)
 今まで翻訳をやってきた経験からいうと、翻訳の寿命は長くて二十年。これを過ぎたものは、新しい人が訳し直す方がいい。最近、つくづくそう思う。「スクラップ・アンド・ビルド」はまさに翻訳本のためにある言葉といっていいだろう。
 翻訳は、ただ単に新しいというだけで、十分にその価値があるのだ。

   Sources:
   * 金原瑞人=著 あとがき大全26
    【児童文学評論】No.67 2003年7月25日号
   * 金原瑞人=著『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった
    牧野出版 2005/12 所収
 
 
■tomoki y. のコメント Comments by tomoki y.

私自身は、金原氏いうところの「岩波文庫の『十五少年』(森田思軒訳)を読む」ような「ずいぶんとマニアックな人間」の1人である。べつに「その手の研究をしている」わけではない。たんなる物好きなだけだが。まだ実際に森田思軒訳の『十五少年』を読んだわけではないが、いずれ近いうちに、読もうとは思っている。
 
 
■和書 Books in Japanese

(1) 金原瑞人=著

     
 

(2) 金原瑞人=訳

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