夏目漱石:ぜんざいは京都で、京都はぜんざいである
■ぜんざいの大提灯 A big red lantern of a zenzai parlor
始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規と一所であつた。麩屋町(ふやちよう)の柊屋(ひいらぎや)とか云ふ家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映つたのは、此赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故か是が京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至る迄決して動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象で又最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食つた事がない。実はぜんざいの何物たるかをさへ弁(わきま)へぬ。汁粉であるか煮小豆(ゆであづき)であるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稲妻の迅(すみや)かなる閃きのうちに思ひ出す。同時に——あゝ子規は死んで仕舞つた。糸瓜のごとく干枯(ひから)びて死んで仕舞つた。——提灯は未だに暗い軒下にぶら/\して居る。余は寒い首を縮めて京都を南から北へ抜ける。
夏目漱石「京に着ける夕」より抜粋
『漱石全集12 小品』
岩波書店(第1刷 1994/12|第2刷 2003/03)所収
E-text at 青空文庫(用字、仮名遣いなどは、上記全集版と異なる)
■tomoki y. のコメント Comments by tomoki y.
先日の記事「99年前、漱石は京都で」 の続編。前回とおなじく、漱石の1907(明治40)年の京都旅行の思い出から。
「麩屋町の柊屋」は、いまもある。ふつうは柊家と書く。俵屋、炭屋とならぶ、京都の有名高級旅館御三家の一つ。文人とゆかりが深い。志賀直哉の家族は、ここをベースにして京見物をした。林芙美子も泊まった。川端康成は、ここを定宿にして、宣伝コピーのようなもの(川端康成氏寄稿文 | 柊家)さえ残した。三島由紀夫は死の数日前ここで家族と過ごした。三島のお気に入りは1階の33号室だった。
文人以外では、たとえば、チャップリンやアラン・ドロンもお客だった。イアン・ソープも泊まった——らしい。私は未見だが、田口八重『おこしやす—京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』という本が出ている。
ぜんざいの大ちょうちんのことは、一切知らない。「ぜんざいは京都で、京都はぜんざいである」とは、いったい何を根拠にして述べているのだろうか? その断定ぶりが異様だ。『言葉は京でつづられた。』という本では、つぎのように説明している。
子規という、巨大で真っ赤な心の灯が消えた。消えた哀惜と空虚のシンボ
ルとして漱石は、ぜんざいの提灯の存在を子規と来た京都そのものと強引
に結びつけたのだろうか。「何故?」という疑問を挟む余地のないほどに、
乱暴で理を超えている。
■参考文献 Reference
* 京都モザイク編集室 『言葉は京でつづられた。』 青幻舎 2003
* 蔵田敏明 『文学散歩 作家が歩いた京の道』 淡交社 2003
* 水川隆夫 『漱石の京都』 平凡社 2001
■更新履歴 Change log
2012/10/02 まえにリンク切れになっていた川端康成氏寄稿文へのリンクが
柊家さんサイトに復活しているようなので、リンクを再び張りました。
2007/12/01 いくつかのデッド・リンクをアクティブにしました。
2006/04/08 柊家さんについての解説を、訂正・補足しました。また、参考文献を
追加しました。
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