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Tuesday, 05 June 2007

La Disparition d'Honoré Subrac by Guillaume Apollinaire (1) アポリネール「オノレ・シュブラックの失踪」(1)

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This article was originally published on 27 April 2007 but moved here for technical reasons.
この記事は、もともと 2007年4月27日に掲載 されていましたが、技術的な理由によりここに移動しました。


■ピカソによる絵、カリグラム、肖像写真
 A drawing by Picasso, a calligramme, and a portrait

a. Apollinaire_bank_clerk b. Appo c. Apollinairebandage
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a. Guillaume Apollinaire, a bank clerk, by Pablo Picasso (1905).   Image source: artscape.fr At the age of 20 Apollinaire settled in Paris, where he worked for a time for a bank. 二十歳でパリに居を定めたアポリネールは、いちじ銀行づとめをしていました。

b. Calligramme de Guillaume Apollinaire (1915). Image source: Peinture FLE アポリネールによるカリグラム(「カリグラム」とは彼の造語で、上にご覧のような図形詩のこと)。

c. Guillaume Apollinaire (1880-1918). He fought in World War I and, in 1916, received a serious shrapnel wound to the temple. 第一次大戦に出征した彼は1916年、砲弾の破片で頭に重傷を負いました。


■アポリネール=作「オノレ・シュブラックの失踪」邦訳一覧
 A list of Japanese translations of "La Disparition d'Honoré Subrac"

 ●は下に抜粋を引用したもの。×は未見のもの。
 たぶんほかにも、たくさんの邦訳が出ているだろうと思います。
 お気づきの点があれば、ご指摘ください。

●  1. 己戸春作=訳 破滅派|無料オンライン文芸誌010号 2008
●  2. 山田 稔=訳 フランス短篇傑作選 岩波文庫 1991
●  3. 菅野昭正=訳 集英社ギャラリー[世界の文学]8 1990
●  4. 高野 優=訳 なぞめいた不思議な話 幻想文学館2 くもん出版 1989
●  5. 長島良三=訳 フランス怪奇小説集 偕成社文庫 1988
●  6a. 高橋たか子=訳 澁澤龍彦=編 世界幻想名作集 河出文庫 1996
●  6b. 高橋たか子=訳 澁澤龍彦=編 世界幻想名作集 世界文化社 1979
●  7. 飯島耕一=訳 世界中短編名作集 世界文学全集46 学習研究社 1979
●  8. 稲田三吉=訳 世界短編名作選 フランス編2 新日本出版社 1978
●  9. 竹内廸也=訳 世界文学全集78 講談社 1975
●10.   鈴木 豊=訳 異端教祖株式会社 講談社文庫 1974
×11a.  窪田般彌=訳 異端教祖株式会社 白水Uブックス 1989
●11b.  窪田般彌=訳 アポリネール傑作短篇集 窪田般彌 福武文庫 1987
×11c.  窪田般彌=訳 レイモンド・チャンドラー[他] 恐怖の1ダース 講談社 1980
●11d. 窪田般彌=訳 レイモンド・チャンドラー[他] 恐怖の1ダース 出帆社 1975
×11e. 窪田般彌=訳 異端教祖株式会社    晶文社 1972
●11f. 窪田般彌=訳 世界SF全集31 早川書房 1971
●12. 青柳瑞穂=訳 怪奇小説傑作集4 フランス編 1969, 2006 創元推理文庫
●13. 赤木富美子=訳 アポリネール短篇傑作集 大学書林語学文庫 1969
●14. 滝田文彦=訳 世界の文学52 フランス名作集 中央公論社 1966
●15. 菅野昭正=訳 フランス短篇名作集 小林正 学生社 1961
●16. 渡辺一民=訳 世界風流文学全集6 河出書房 1956
×17a. 川口 篤=訳 澁澤龍彦=編 変身のロマン 学研M文庫 2003
●17b. 川口 篤=訳 澁澤龍彦=編 変身のロマン 新装版 立風書房 1990
●17c. 川口 篤=訳 安野光雅=編 ちくま文学の森4 筑摩書房 1988
●17d. 川口 篤=訳 澁澤龍彦=編 変身のロマン 立風書房 1972
●17e. 川口 篤=訳 アポリネール全集 普及版 紀伊國屋書店 1964
●17f. 川口 篤=訳 世界文学大系97 近代小説集2 筑摩書房 1964
●17g. 川口 篤=訳 世界文学大系92 近代小説集2 筑摩書房 1964
×17h. 川口 篤=訳 フランス短篇集 現代篇 鈴木信太郎編 河出文庫 1955
×17i. 川口 篤=訳 フランス短篇集 現代篇 鈴木信太郎編 河出市民文庫 1953
●18. 川口 篤=訳 オノレ・シユブラツクの喪失[他] 白水社 1934(昭和9)
×19a. 堀口大學=訳 アムステルダムの水夫 書肆山田 1989
●19b. 堀口大學=訳 世界文學全集36 近代短編小説集 新潮社 1929(昭和4)
×20a. 堀口大學=訳 堀口大學全集 補巻2 日本図書センター 2001
●20b. 堀口大學=訳 堀口大學全集 補巻2 小沢書店 1984
×20c. 堀口大學=訳 詩人のナプキン ちくま文庫 1992
●20d. 堀口大學=訳 詩人のナプキン 第一書房 1929
●20e. 堀口大學=訳 聖母の曲藝師 至上社 1925(大正14)


■日本語訳 Translations into Japanese

(1) 己戸 2008
……ある夜、僕は彼女の家にいた。夫は何日か留守にしているということだった。僕らが神々のように一糸まとわぬ姿でいると、ドアが突然開いて、夫がピストルを手に現われた。その恐怖といったら言葉にできないね。僕は昔からずっと卑怯な人間なので、ただ逃げたいという思いしかなかった。壁に張り付き、壁の中に紛れ込めたらいいと思った。すると思いがけないことが起きた。僕は壁紙の色になり、手足は思い通りに信じられないほど平らに伸びていき、壁と同化して誰も僕のことが見えなくなったみたいだった。実際、見えなくなっていた。本当なんだ。夫は僕を殺そうと探し回っていた。(……)

   ギヨーム・アポリネール=著 己戸春作=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」
   破滅派編集部=編 破滅派|無料オンライン文芸誌 010号 2008/02/18


(2) 山田 1991
……ある晩おそくぼくはその女の部屋にいた。亭主は数日留守をしているということだった。ぼくたちは神々のようにすっ裸。と、そのとき、突然ドアが開き、亭主がピストルを手に現われたのだ。そのときの恐怖といったらとても言葉では言い表わせない。ぼくは臆病だったから(いまもそうだけど)、願いはただひとつ、消えてしまうことだ。壁を背にしながら、ぼくはそこに溶けこめたらいいのにと思った。すると意外や意外、たちまちその願いが実現したのだ。ぼくは壁紙の色になり、手足が思いのままにふしぎなくらい伸びて平たくなった。壁とひとつになってしまい、もう誰の眼にも見えないような気がした。本当なんだ。亭主はぼくを殺そうと探しまわっている。(……)

   ギヨーム・アポリネール=著 山田稔=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」
   山田稔=編訳『フランス短篇傑作選』岩波文庫 1991/01 所収


(3) 菅野 1990
(……)ある夜、ぼくは愛人のところにおりました。彼女の夫は、数日間留守にするとか称して出かけていました。ぼくたちが異教の神々のように裸でいると、するとだしぬけにドアが開いて、彼女の夫がピストルを手にして現われたのです。ぼくの恐怖はとても言葉につくせぬほどでしたし、ぼくの欲望はただひとつだけでした、なにしろぼくは臆病でしたし、いまでもやはりそうですからね。とにかく姿を隠したいという欲望だけ。壁にもたれかかりながら、壁に溶けこめればと願いました。すると、ただちに、予想もしなかったことが実現したのです。ぼくの身体(からだ)は壁紙の色になり、そしてぼくの手足は、思い通りに途方もなく伸びたまま平べったくなってしまったので、ぼくは壁と一体になり、もう誰の眼にもぼくの姿は見えないのだという気がしました。じじつその通りでした。夫はぼくを殺そうとして探しまわりました。(……)

   アポリネール=著 菅野昭正(かんの・あきまさ)=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」
   『集英社ギャラリー[世界の文学]8 フランス3
   集英社 1990/12 所収


(4) 高野 1989
 ある夜、ぼくはその女の家にいた。夫は二、三日家をあけて、帰ってこないということだった。ぼくたちは安心して、ふたりともギリシャの神がみのように裸になっていたのだが、そこへいきなり夫が帰ってきたんだ。手にはピストルをもっている。
 いや、その恐ろしさといったらなかったね。ぼくはそのころからおくびょうだったから、頭のなかでは、ここから消えてしまいたいと、そのことしか考えていなかった。壁にぴったりとはりついて、このまま壁になりたいと、ぼくはひたすらねがった。
 するとどうだろう、信じられないようなことがおこったんだ。肌が壁紙と同じ色になり、手や足がひらたくなる。体が自分でもびっくりするくらい、思いのままになるんだ。
 そのうちにぼくは自分がとうとう壁になったらしいことがわかった。まわりからもぼくのすがたが見えないらしい。ほんとうだよ。ぼくを殺そうとしていた夫は、必死にぼくのすがたをさがしている。(……)
[原文にあるルビは省略しました - tomoki y.]

   アポリネール=著 高野優(たかの・ゆう)=訳
   「消えたオノレ・シュブラック」
   江河徹=編『なぞめいた不思議な話』幻想文学館2
   くもん出版 1989/08 所収


(5) 長島 1988
(……)ある夜、おれはこの愛人の家にいた。彼女の夫は、数日間旅に出たとのことだった。おれたちはふたりとも一糸もまとわずベッドにいた。するといきなり、寝室のドアがあいて、ピストルを手にした亭主があらわれたのだ。おれは恐怖でふるえおののいたね。臆病なおれは、もっともいまだってそうだが、ただただ、消えうせたいと念ずるばかりだった。壁を背にして、おれはこの壁のなかにとけこんでしまいたいとねがった。そのとたん、意外なことがおこったのだよ。おれは壁紙と同じ色になり、おれの手足は不可解にもかってにのびていって平べったくなった。おれは壁と一体となり、もうだれの目にも見えなくなってしまったらしいのだ。そうさ、だれの目にも見えなくなっちまったのさ。その証拠に、亭主はおれを殺すつもりで、血眼になっておれをさがしているじゃないか。(……)
[原文にあるルビは省略しました - tomoki y.]

   アポリネール=作 長島良三=訳       
   長島良三=編『フランス怪奇小説集』偕成社文庫 1988/08 所収


(6) 高橋 1979, 1996
……ある夜、ぼくはその女のところにいた。彼女の夫は、自分で言うところによれば、五、六日どこかへ行っていた。ぼくと女が神々のように裸でいたとき、ふいにドアがあいて、ピストルを手にした夫があらわれた。ぼくの恐怖は言語に絶するものだった。いまでもそうだが臆病だったぼくが願ったことはといえば、消えてなくなりたいということだけだった。壁に背中をつけて、壁と同化することを望んだ。と、たちまち、思いがけないことが起った。ぼくの体は壁紙と同じ色になった。手足が思うままに驚くほどのびて、ひらたくなったので、ぼくが壁と一体になり、もうだれにもぼくが見えないのだという気がした。実際そうなのだった。彼女の夫はぼくを殺そうとしてさがしていた。(……)

   ギョーム・アポリネール=著 高橋たか子=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」
   6a. 澁澤龍彦=編『世界幻想名作集』河出文庫 1996/11 所収
   6b. 澁澤龍彦=編『世界幻想名作集』グラフィック版 世界の文学 別巻1
     世界文化社 1979 所収


(7) 飯島 1979
……ある晩、おれは女の家へ行っていた。女の夫なる男は、数日間出掛けて、不在だとのことだった。二人は神々のように素裸だった。そのとき、とつぜんドアが開いて、ピストルを手にした夫が現れた。おれの恐怖は言語に絶するものだった。おれはただただ、いまも昔も卑怯だったんだが、消えてしまいたい思いでいっぱいだった。壁に背を倚(よ)せて、壁と一体になることを願った。と、たちまち、思いもよらないことが生じた。おれは壁紙の色になり、手足は自分の意志でとんでもなく扁平になり、壁と一つになって誰にも見えなくなったような気がした。それは事実だった。夫はおれを殺そうとして探しまわった。(……)

   アポリネール=著 飯島耕一(いいじま・こういち)=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」
   『世界中短編名作集』 世界文学全集46(全50巻)
   学習研究社(学研) 1979/08/01 所収


(8) 稲田 1978
(……)或る晩、ぼくはこの恋人の家にいました。彼女の夫は、数日間の予定で出かけているとのことでした。ぼくたちは古代の神々のように素裸になっていました。するとその時、とつぜんドアがひらいて、夫がピストルを手にしてあらわれたんです。ぼくの恐怖は、もう言葉では言いあらわせないほどでした。臆病者だったぼくは、今でもそうですけれど、ただもう姿を消したいという願いだけしかありませんでした。壁を背にしていたぼくは、なんとかしてその壁のなかに溶けこんでしまいたいと熱望しました。と突然、予期していなかった出来事がおこったのです。ぼくは壁紙と同じ色になり、手足は自然に、想像もつかないほど薄っぺらくなり、ぼく自身が壁と一体になり、もう誰もぼくの姿が目にはいらないようになったらしいのです。それは本当でした。彼女の夫はぼくを殺そうとして、あちこち探しまわりました。(……)

   アポリネール=著 稲田三吉(いなだ・さんきち)=訳
   「オノレ・シュブラックの消失」
   稲田三吉〔ほか〕=編『世界短編名作選 フランス編2
   新日本出版社 1978/03 所収


(9) 竹内 1975
(……)ある夜、ぼくはその女の家にいた。彼女の夫が、数日間、出かけているので、留守になるという話だった。ぼくと彼女は、古代の神々みたいに何も着ないでいた。そのとき、突然、ドアが開いて、彼女の夫が入って来た。手にはピストルを握っているんだ。そのときの怖(おそ)ろしさは、とても口で言えるようなものじゃなかった。そして、ぼくは、ただひたすらひとつのことだけを心から願った。あのとき、ぼくは卑怯だった。今でもそうなんだ。ぼくは消えて失くなってしまいたい、とそれだけを願った。壁に背中をおしつけて、壁に溶けこんでしまいたいと祈った。すると、たちまち、思いもよらぬことが起こった。ぼくの体は壁紙の色になり、ぼくの手足は、望み通りに、考えられぬほど伸び拡がって、平たくなり、体が壁と一体になって、もう誰にも見わけがつかなくなってしまったようだった。ほんとうにそうなったのだった。女の夫は、ぼくを殺そうと思って探した。(……)

   アポリネール=作 竹内廸也(たけうち・みちや)=訳
   「オノレ・シュブラックの消失」
   『世界文学全集78』アポリネール 短編
   アポリネール/ツァラ/ブルトン/アラゴン/エリュアール
   講談社 1975/12 所収


(10) 鈴木 1974
……ある晩、ぼくは恋人のところにしけ込んでいたんだ。向うさまの言うことには、亭主は数日の予定で出かけているってわけさ。ぼくらは神々の像さながらのすっ裸でいたんだ、そのときだしぬけにドアが開いて、ピストルを手にした亭主が現われたんだよ。そのときのぼくの恐ろしさと言ったらもう、口でも言えず、筆でも書けずというところだ。当時はぼくも卑怯だったな、いや今でもまだそうだが、とにかくぼくの望みといえばただひとつ、もう消えてなくなりたい、という一心だったよ。壁に寄りかかったまま、壁に融け込んでしまいたい、と願ったものさ。するとすぐに、思いもかけないことが現実に起ったんだな。ぼくはね、壁紙と同じ色になり、ぼくの手足はこちらの意のまま考えられないほど伸びて平べったくなってね、自分の体が壁と一心同体になり、その後はもうだれも自分の姿が見えなくなったような気がしたんだ。これはほんとうだったんだよ。亭主はぼくを殺そうとして探し回った。(……)

   アポリネール=作 鈴木豊(すずき・ゆたか)=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」
   『異端教祖株式会社』講談社文庫 1974/09 所収


(11) 窪田 1971, 1975, etc.
……ある晩、ぼくはこの恋人のところにいた。かれの自称亭主はもう数日も家をあけていた。ぼくたちは神々のように裸だった。そのときだ。ドアが突然開いて、亭主がピストルを手にもって、現われたのさ。その恐怖といったら説明できるもんじゃない。ぼくは昔もそうだったが今も臆病だから、ただただ、姿を消してしまいたいというたった一つの願いしかなかったわけだ。壁に背をもたせかけると、壁に溶けこんでしまいたいと願った。するとどうだろう、たちまち思いもよらぬことが実現したのさ。ぼくは壁紙の色になり、手足が思いどおりに驚くほど延びひろがって、ぺちゃんこになったんだ。ぼくは壁と合体し、もう誰もぼくをみることができないような気がした。そいつは本当だった。亭主はぼくを殺してやろうと探しまわっていたんだから。(……)

   ギョーム・アポリネール=著 窪田般彌(くぼた・はんや)=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」
  ×11a.異端教祖株式会社』小説のシュルレアリスム
       白水Uブックス 1989/10 所収
  ×11b.アポリネール傑作短篇集』福武文庫 1987/01 所収
  ×11c. レイモンド・チャンドラー〔ほか〕=著 中田耕治=編
      『恐怖の1ダース』講談社 1980/08 所収
   11d. レイモンド・チャンドラー〔ほか〕=著 中田耕治=編
      『恐怖の1ダース』出帆社=発行 路書房=発売 1975/09 所収
  ×11e.異端教祖株式会社』晶文社 1972 所収
   11f. 福島正実+野田昌宏+伊藤典夫=編
      『世界SF全集31 世界のSF(短篇集)古典篇』早川書房 1971/07 所収   

   ・×を付した 11a. 11b. 11c. 11e. は未見。
   ・上の引用は、11d.11f. に拠ります。両者は同文。


(12) 青柳 1969, 2006
……ある晩、おれは女の家にいたのだ。亭主は、二、三日の予定で旅に出たとのことだった。安心して、二人とも神様みたいにすはだかになっていたものさ。すると俄然、室のドアが開いて、亭主がピストルを片手にしてあらわれてきたのだ。じつにおどろいたね、とても言葉なんかではいえないほど恐ろしかった。卑怯なことだったが、もっともいまだってそうなんだが、おれは、そのとき、ただもう消え失せたいと、ただ一心に念ずるばかりだったのだ。壁にからだをすりよせて、おれはこの壁とごっちゃになってしまいたいと、そればかりねがったものだ。すると思いがけないことがおこったのだ。というのは、おれは壁紙と同じ色になり、そしておれの五体は、不思議にも思うままにのびて、平べったくなって行って、どうやら、おれは壁と一体になり、もう、おれの存在は誰の目にも認められなくなってしまったらしいのだ。それにちがいないのだ。亭主はおれを殺すつもりで、一生懸命におれをさがしているじゃないか。(……)

   ギヨーム・アポリネール=著 青柳瑞穂=訳
   「オノレ・シュブラックの消滅」
   G・アポリネール〔ほか〕=著『怪奇小説傑作集4 フランス編』
   創元推理文庫(初版 1969/06|新版 2006/07)所収


(13) 赤木 1969
……ある夜、僕は愛人のところにいた。彼女の夫は、本人のいうところでは何日間かの予定で出かけてしまっていた。僕たちは神話の神神みたいに裸だった。と、突然扉があいてその夫がピストルを手にあらわれたのだ。僕の怖れは筆舌につくし難いものだったよ。僕は臆病だったし、今でもそうだが、ただ一つのねがいしかなかった、消えてしまいたいというねがいしかね。壁に背をつけながら、僕はそれとまじりあってしまうことをひたすらねがった。ところがたちまち、思いがけない出来事が起こったのだ。僕は壁紙の色になってしまい、手足は意志によって、考えられない程ひきのばされて平らになり、僕は壁と一体となって、もう以後誰にも見えないように思われた。事際そうだった。夫は僕を殺そうとして探していた。(……)

   アポリネール=作 赤木富美子(あかぎ・ふみこ)=訳
   「オノレ・シュブラックの消滅」
   『アポリネール短篇傑作集』大学書林語学文庫 1969/01 所収
 
   書名は奥付によるもの。表紙などの書名は, "Choix de Contes
   d'Apollinaire." - tomoki y.


(14) 滝田 1966
……ある晩、僕はその女の家へ行っていた。彼女の夫は、数日間出かけると称していなかった。僕ら二人は、神々のように裸だった。と、そのとき、突然扉があいて、彼女の夫がピストルを片手にはいってきた。そのときの恐怖といったら、とても口では言えないほどだった。僕は、今でもそうなように臆病者だったから、願ったことはただ一つ、消えてなくなることだった。壁に背中を押しつけて、溶けてはいれないものかと願った。と、たちまち、思いもかけないことが実際になって起こった。僕は体が壁紙の色に変わり、手足が思うままに驚くほど伸びて平たくなり、自分が壁と一体になってしまい、もうだれにも見つからないような気がした。事実そうだった。彼女の夫は、殺そうとして僕をさがしていた。(……)

   アポリネール=著 滝田文彦(たきた・ふみひこ)=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」
   『世界の文学52 フランス名作集』中央公論社 1966/08 所収


(15) 菅野 1961
(……)ある夜、ぼくは愛人のところにおりました。彼女の夫は、数日間留守にするといって出かけていました。ぼくたちは、異教の神々のように裸でした。と、そのときだしぬけにドアが開いて、彼女の夫がピストルを手にして現われたのです。ぼくの恐怖はとても言葉につくせぬほどでした。ぼくの欲望はただひとつ、なにしろぼくは臆病でしたし、いまでもやはりそうですが、とにかくもう姿を隠したいということだけでした。壁にもたれかかりながら、壁に溶けこめればいいのだが、と思いました。すると、ただちに、予想もしなかったことが実現しました。ぼくの身体は壁紙の色になったのです、そしてぼくの手足は、思い通りに途方もなく伸びたままひらべったくなってしまったので、ぼくは壁と一体になり、もう誰の眼にもぼくの姿は見えないのだという気がしました。じじつその通りでした。夫はぼくを殺そうとして探しまわりました。(……)

   アポリネール=著 菅野昭正=訳「オノルシュブラックの失踪」
   小林正=編『フランス短篇名作集』學生社 1961/05 所収


(16) 渡辺 1956
(……)ある夜、ぼくは女の家にいた。亭主はしばらく留守をするということだった。ぼくらは神々のように裸だった。と、不意に扉が開いて拳銃を手に亭主が現われた。ぼくのそのときの怖しさときたら、何とも言いようのないものだった。ぼくはいまでもそうだけど本当に臆病なのだね。ただもう、その場から消えてなくなりたいという、切羽つまった思いがすべてだった。壁に身を凭れさせたまま、どんなにそこに溶けこみたいと願ったことだろう。ところがどうだ、不意に、全く予期しないことが起った。ぼくの体が壁紙の色に染ってしまったではないか。そればかりではない、考えもつかぬことだったが、手足が望みどおりに伸びきると、平べったくなってしまったのだ。壁の一部分になったようだった。もう誰もぼくには気附かないという気がした。まさにそのとおりだった。亭主はぼくを殺そうと探しまわっている。(……)

   アポリネール=著 渡辺一民(わたなべ・かずたみ)=訳
   「オノレ・シュブラックの失踪」アポリネール短篇集
   『世界風流文学全集6 フランス篇4』河出書房 1956/09 所収


(17) 川口 1964, 1972, etc.
(……)或る晩、僕は女のところへ行っていた。女の亭主は、数日留守とのことだった。僕たちは、ギリシアの神々のように裸だった。その時、急にドアが開いて、女の亭主が、ピストルを手にして現われたのだ。怖(こわ)かったのなんの、とても口では言われはしない。今でもそうだが、僕は卑怯だったんだね。ただもう消えて無くなりたい思いで一ぱいだった。壁に身を寄せて、壁に溶けこめればいいと願った。すると、忽ち、思いもよらぬ事が実現したのだ。僕の体は、壁紙の色になり、僕の手足は思うさまとてつもなく延びて平べったくなり、僕は壁と一つになって、もう誰にも見えなくなったような気がした。まさにそのとおりだった。亭主は、僕を殺そうとして探しまわっていた。(……)

   アポリネール=作 川口篤(かわぐち・あつし)=訳 
   「オノレ・シュブラックの失踪」
  ×17a. 澁澤龍彦=編『変身のロマン』学研M文庫 学習研究社 2003/05 所収
   17b. 澁澤龍彦=編『変身のロマン』(新装版)立風書房 1990/09 所収
   17c. 安野光雅〔ほか〕=編『ちくま文学の森4 変身ものがたり
      筑摩書房 1988/02 所収
   17d. 澁澤龍彦=編『変身のロマン』立風書房 1972/09 所収
   17e. 鈴木信太郎+渡邊一民(わたなべ・かずたみ)=編
      『アポリネール全集』普及版 紀伊國屋書店 1964/11 所収
   17f.世界文学大系92 近代小説集2』(全62巻)筑摩書房 1964/07  所収
   17g. 『世界文学大系97 近代小説集2』(全102巻)
       筑摩書房(初版第1刷 1964/07|初版第7刷 1969/06)所収
  ×17h. 鈴木信太郎+渡邊一民=編『アポリネール全集
       紀伊國屋書店 1959 所収?(未確認)
  ×17i. 鈴木信太郎=編『フランス短篇集 現代篇』河出文庫 1955 所収
  ×17j. 鈴木信太郎=編『フランス短篇集 現代篇』河出市民文庫 1953 所収

   ・上の引用は、17e.『アポリネール全集』紀伊國屋書店に拠ります。
   ・×を付した 17a. 17h. 17i. 17j. は未見。いずれも 17e. と同文か?
    (未確認)
   ・17a.17b. の再刊か?(未確認)
   ・17b. 17d. は、17e. と同文。17b.17d. の再刊。
    ただし、17b. 17d. では、引用部分 17e. の「壁に溶けこめればいい」
    が「壁に溶けこめばいい」となっており「れ」が抜けています。
    意図的な修正か、それとも遺漏かは未確認。
   ・17c. 17f. 17g. は、用字・ルビなど細部を除き、17e. と同文。
   ・17e.17h. と同文か?(未確認)
   ・17f.17g. は、まったく同じ内容なのに、17f. は第92巻、17g.
    第97巻という異なる巻数が振られています。これまでずっと不思議に思って
    いたのですが、最近ある本を読んだら謎が解けました。
   ・すなわち、この「大系」シリーズは、当初全62巻の予定で刊行が始まった
    のですが、のちに増巻して全102冊と変更された結果、巻数が振りなおされ
    たためらしいのです。このことを示唆してくれた、上述の有益な「ある本」
    とは、矢口進也=著『世界文学全集』トパーズプレス 1997/10 です。


(18) 川口 1934
 ある晩僕はその情婦のところへ行つてゐた。彼女の夫は、彼女の話では數日他所(よそ)に行つてゐる筈だつた。我々は神樣のやうに裸體(はだか)になつてゐた。その時、急にドアが開いて、夫が手にピストルを持つて現れたのだ。怖(こわ)かつたの何のつて、とても口では言はれはしない。それで、僕も卑怯だつたんだね、今だつてさうだが、只もう消えて無くなり度いと思つたのだ。僕は壁に倚りかかつて、壁に溶け込めればいいと願つた。すると忽ち、思ひもよらぬ事が實現した。僕は壁紙の色になつたのだよ。そして、僕の手足は思ふ樣とてつもなく延びて平べつたくなり、僕は壁と一つになつて、もう誰に[ママ]見えなくなつたやうな氣がしたのだ。その通りだつた。夫は僕を殺さうとして探してゐた。(……)

   アポリネール=著 川口篤=譯註「オノレ・シユブラツクの喪失」
   『オノレ・シユブラツクの喪失・アムステルダムの水兵
   佛蘭西語入門叢書 第3篇
   白水社 1934/01(昭和9)定價金一圓 所収

   書名は奥付によるもの。表紙などの書名は, "Contes de G. Apollinaire."
    - tomoki y.


(19) 堀口 1929
……或る晩のこと、おれは女の家へ行つてゐたものだ。何でも女の夫は二三日旅行して留守だといふことだつた。後になつて考へて見ると、それはてつきり、彼の計略だつたんだが。その時は、そんな事とは思ひもよらなかつた事とて、女とおれとは、二人とも、まるで神樣たちのやうに素裸體(すつぱだか)になつてゐたものさ。すると忽ち、室の扉(ドア)が開いて、そこから女の夫が、短銃(ピストル)を片手にして現はれ出たものだ。その時のおれの恐怖と言つたら、それは實に名状すべからざるものだつた。卑怯(ひけふ)な話だが、おれはその時、たゞもう消え失(う)せてしまひ度いと希ふことばかりに專一だつた。それで、壁に身體(からだ)をすりよせて、おれは一心に、この壁と同じ色になつて、消えてしまはうと計り努(つと)めたものだ。すると、計らずも、思ひがけなかつたことが起きたのであつた。と言ふのは、おれの身體(からだ)は、壁紙と同じ色になり、そしておれの五體は、思ふまゝに平べつたく伸びひろがつて、見る/\うちに、おれは壁と一體になつてしまつたものだ。氣が付くと、その時はもう、おれの存在は、誰の目にも認められなくなつてしまつてゐた。女の夫は、おれを殺すつもりで、一所懸命におれを探してゐた。(……)

   ギイヨオム・アポリネエル=作 堀口大學=譯
   「オノレ・シュブラック滅形」
   『世界文學全集36 近代短篇小説集』佛蘭西篇
   新潮社 1929/07(昭和4)非賣品 所収
   この本の収録作品一覧:野村宏平=編 Index to Anthologies


(20) 堀口 1925, 1929
……或る晩のこと、おれは女の所へ行つてゐた。何でも女の亭主は數日の間留守だと云ふのでね。後になつて考へて見るとそれが彼の計略だつたのさ。僕等はうまうまとのせられたのだ。その時は、そんな事とはつゆ知らぬので、女も僕も二人乍ら、神樣たちのやうに素裸になつて喜戯してゐたものさ。するとその時忽に室の戸が開いて、そこから女の亭主が短銃を手にして立ち現はれたものだ。その時の僕の恐怖は、實に名状す可からざるものだつた、卑怯な話だが僕は只もう身も魂も消え失せてしまへばよいと希ふばつかりだつた。ぴつたりと壁にこの身をすり倚せて僕は一心に壁と同色になつて消えてしまはうと許りつとめたものだ。その時はからずも思ひがけない奇蹟があらはれたのだ。見る見る僕の身體は壁紙と同じ色になり、同時にまた僕の手足は思ふままに平べつたく伸びひろがつて、僕の身體は壁の中へ溶けこんでしまつて、氣がつくともう誰の目にも僕の存在は見當たらぬのだ。亭主はと見ると、僕を打ち殺すつもりで、一生懸命に僕を探してゐた。(……)

   ギイヨオム・アポリネエル=作 堀口大學=譯
   「オノレ・シュブラック滅形」
   20a.堀口大學全集 補巻2(飜訳作品2)』復刻版
      日本図書センター 2001/12
  ×20b. 堀口大學=訳『詩人のナプキン』ちくま文庫 1992/06
  ×20c. ギョーム・アポリネール=著 堀口大學=訳
      「オノレ・シュブラック滅形」 
      『アムステルダムの水夫 堀口大学訳短篇物語2
      書肆山田 1989/03 所収
   20d. 安藤元雄〔ほか〕=編『堀口大学全集 補巻2』小沢書店 1984/06
  ×20e. 『オノレ・シュブラック滅形』草原社 1979/10 限定150部刊行
   20f. 詩人のナプキン
      第一書房 1929/09(昭和4)定價一圓八十錢 初版1500部刊行
   20g.聖母の曲藝師』現代佛蘭西短篇集
      至上社 1925/08(大正14)定價貳圓 所収
  ×20h. 「オノレ・シュブラックの失踪」1921/05(大正10)
      「三田文學」第12卷第5號 所収

   ・上の引用は 20f. 第一書房版に拠ります。
   ・20a. 20b. 20d. 20g. も、20f. とほぼ同文(字句・用字など
    細部に異同あり)。
   ・×を付した 20b. 20c. 20e. 20h. は未見。
   ・20a.20d. を復刻したもの。
   ・20b.20f. の再刊か?(未確認)
   ・20d. の底本は 20f.
   ・20d. の書名『詩人のナプキン』は奥付の表記によるもの。
     扉には、右から左に横書きで『んきぷなの人詩』とあります。
   ・20a. の「解題」によると、20e. は旧稿を全面改訳し、
     新字新仮名遣いによって刊行されている由。
   ・20a. の「解題」によると、20f. に先立つ雑誌発表形として、
    20h. が確認されている由。


 

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