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Wednesday, 27 May 2009

合衆国大統領への敬称 Forms of speech to U.S. President

■はじめに―ペリー提督の対日交渉ポリシー
 Introduction: Commodore Perry's policies towards the Japanese

ペリーが日本を開国させるために用いた交渉ポリシーは、おもに次の3つだった:
  (1) 武力行使は慎むが、日米の国力の圧倒的な差は見せつける
  (2) 下級役人には会わず、幕府の最上層の官僚とだけ交渉する
  (3) 既成の交渉ルートを持つオランダの仲介に頼らず、直接交渉する

へりくだって近づくと失敗する。前任者や他国の例から学んだペリーは、日本側に「なめられない」ように腐心した。

このうち、ポリシー 2 をペリーはどのように実践したか? まず初めに浦賀の役人が交渉のためペリーの黒船に乗り込もうとしたとき、ペリーはこれを拒んだ。そして、高級な役人である浦賀の責任者とその通訳だけに乗船を許した。また、交渉開始後もペリー自身は顔を出さず、代わって副官に交渉させた。

ペリーに対し日本側はどういう敬称を用いるべきか?――こんな事柄に対してもペリーは注文をつけた。それについて、下に 『ペリー提督日本遠征記』 から引用する。引用文中の「皇帝」とは、京都にいた天皇ではなく、江戸の徳川将軍を指す。

   以上は、次の各情報源に拠って tomoki y. がまとめた。
   * なるほど!幕末 >> 幕末事件簿:開国~江戸開城
   * 日米交流150周年記念事業公式サイト
     >> 日米交流の始まり >> 3. ペリーのプロフィールと交渉術
   * 今津浩一(いまづ・こういち)=著
     『ペリー提督の機密報告書―コンフィデンシャル・レポートと開国交渉の真実
     ハイデンス 2007-10-18


■Map of Uraga, Japan

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■ペリー艦隊の動向 - 1853年7月8日金曜日~15日金曜日(嘉永6年6月3日~10日)
 Perry's squadron: Friday 8 July - Friday 15 July 1853

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Map_of_uraga_channel
Image source: 櫻岡家の人々>> 櫻岡八郎 >> 浦賀近海船懸之図(現代図)


■日本語訳 Translations into Japanese

(1) 三方 1999
会見の間、奉行と通訳がアメリカ大統領に言及するときは、日本の皇帝のことを話すときと同様の尊称を使うよう、求められた。彼らはこれに同意したけれど、その前は別の表現を用いていた。日本のように何事も形式に則って行われる国では、話すときにも厳密な決まりがあるのだ。言動の細部、微々たるところにまで念入りに注意を払うこと、つまり、なめらかな表面とぴったりと接合させるためには同じようになめらかな表面でなくてはならないように、非常に洗練された形式主義を巧みに用いることが、日本との外交ではねらいどおりの効果をあげることにつながるのだ。

   『猪口孝が読み解く「ペリー提督日本遠征記」
   三方洋子=訳 NTT出版 1999


(2) オフィス宮崎 1997
会議中、奉行と通訳に対し、彼らが皇帝 [将軍] にかぎって使っているのと同じ敬語を合衆国大統領にも用いるよう要求した。彼らはこの要請に応じたが、その前は、2人の貴人ごとに異なる用語を用いていたのである。日本のようになにごとも儀礼的に行なわれている国では、話し方にも厳格な礼儀を守る必要があった。きわめて些細で、まったく取るに足りないような言動のはしばしまで周到に注意することで、日本の外交団にこちらの望み通りの印象を与えることが分かってきた。それはちょうど、なめらかな面に隙なくぴたりと合わせるためには同じなめらかな面が必要であるように、きわめて洗練された形式をきわめて精緻に対応させることによってのみ可能となるのであった。

   『ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1
   オフィス宮崎=訳 栄光教育文化研究所 1997


(3) 大羽 1947, 1953
会談中、奉行とその通詞は合衆国の大統領の事を話す時、日本皇帝と同樣な尊称を使うことを要求された。前にはこの二人の貴人を異った言葉で呼んでいたのだが、すぐにこの要求に同意した。日本のように何でもいろんな儀式が支配している国では、言葉づかいのようなものでもやかましく作法を守る必要があるのだ。そして、どんな細なことでも、又、一向大事なことと思えないような言行にも、せいぜい注意してやることが、対日政策に思うような効果をあげるに大切なことがわかった。対日政策とはちょうど平面にぴったりと合わせるためには同樣になめらかな平面を必要とする様に、最も洗練された礼式を非常に巧に使う時、はじめて達せられるのである。

   大羽綾子=訳
   a.ペリー提督日本遠征記』 法政大学出版局 1953
   b.ペルリ提督遠征記』 酣灯社 1947
   引用は a. に拠りました。「細」の「」は原文では太字でなく傍点。
   「樣」が初めに2回、「様」が後に1回現われ、旧字と新字が混用されています。


(4) 土屋+玉城 1935, 1948, etc.
會議中に奉行と通譯とに對して、彼等が特に皇帝に對して使用してゐるものと同樣の敬語を合衆國大統領に對しても用ひるやうにと要求した。彼等はその要求に應じた。但しそれ以前には高貴の二人に對して異つた用語を用ひてゐたのである。日本の如く何でも儀禮的に行はれてゐる國に於ては、用語にさへ嚴密な儀禮を守ることが必要であつた。又極めて些細にして、一見極めて重要ならざる言葉や行動の端にも周到に注意することによつて、日本の外交團に好ましい印象を與へることができるといふことを發見した。恰度一つの滑な面にピッタリとくつつけるためには同じやうな滑な面が必要であるのと同じく、極めて洗煉された形式を極めてうまくあてはめることによつてのみ、彼等を十分に感動させることができ、且彼等と歩調を合せることができるのである。

   土屋喬雄+玉城肇=訳
   a.ペルリ提督日本遠征記(上)』 臨川書店 1988
   b.ペルリ提督日本遠征記2』 岩波文庫 1948
   c.ペルリ提督日本遠征記(上)』 弘文荘 1935 (昭和10)
   引用は b. に拠りました。太字箇所は原文では太字でなく傍点。


■英語原文 The original text in English

During the conference, the governor and his interpreter were requested to use the same designation in speaking of the President of the United States as that by which they distinguished the Emperor. They complied with this request, although, previous to it, they had used different terms for the two dignitaries. In a country like Japan, so governed by ceremonials of all kinds, it was necessary to guard with the strictest etiquette even the forms of speech ; and it was found that by a diligent attention to the minutest and apparently most insignificant details of word and action, the desired impression was made upon Japanese diplomacy ; which, as a smooth surface requires one equally smooth to touch it at every point, can only be fully reached and met by the nicest adjustment of the most polished formality.

   Chapter 12
   Narrative of the Expedition of an American Squadron
   to the China Seas and Japan, performed in the years
   1852, 1853, and 1854. Volume 1. 1856.


■引用箇所を掲載した原典のページの複写画像
 Scanned images of the pages containing the excerpts quoted above

↓ Click to enlarge ↓
Page238_perry_narrative

 

 [en] English
   Volume 1, Chapter 12, Page 238.
   Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas
   and Japan, 1856.
   Image source: here at The Otis Cary Collection,
   Digital archive of rare materials,
   Doshisha University Academic Repository.
   Scanned page containing the above excerpt is here.

 [ja] 日本語
   『アメリカ艦隊による中国海域および日本への遠征記』 1856
   電子複写本の第1巻は、同志社大学学術リポジトリ
   貴重書デジタル・アーカイブ ケーリ文庫のなかの ここ にある。
   上に引用した箇所を含むページは ここ にある。


■日本語訳 の書誌情報詳細 Bibliographic details of translations into Japanese

(1) 三方 1999
   第十二章 琉球から江戸へ・浦賀湾に投錨
   猪口孝(いのぐち・たかし)=監修 三方洋子(みかた・ようこ)=訳
   『猪口孝が読み解く「ペリー提督日本遠征記」』 NTT出版 1999-09 部分訳。


(2) オフィス宮崎 1997
   第12章
   加藤祐三=序文 オフィス宮崎=翻訳・構成 宮崎寿子=制作責任者
   『ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1』 (全3巻)
   栄光教育文化研究所 1997-10-10
   原書:アメリカ合衆国議会公文書:第1巻US(S)771-79
   オフィス宮崎による紹介ページは ここ


(3) 大羽 1947, 1953
   第一部 最初の訪日―― 一八五三年(嘉永六年)
   第六章 アメリカ艦隊、日本本土にせまる
   合衆国海軍省=編 大羽綾子(おおば・あやこ)=訳
   a.ペリー提督日本遠征記』 法政大学出版局 1953-07-15 定価390円
   b.ペルリ提督遠征記』 酣灯社(かんとうしゃ)1947-02-10 定價三十五圓
   引用は a. に拠りました。


(4) 土屋+玉城 1935, 1948
   第十二章 江戸に向つて出發――江戸灣入港
   土屋喬雄(つちや・たかお)+玉城肇(たまき・はじめ)=訳
   a.ペルリ提督日本遠征記(上)』(全2冊)臨川書店 1988-01
   b. 第七章 『ペルリ提督日本遠征記2』(全4冊)岩波文庫 1948-08-15
   c.ペルリ提督日本遠征記(上)』(全2冊)弘文荘 1935-03-10(昭和10)
     發行者:反町茂雄 定價十五圓 五百部印行
   a. c. の複製。引用は b. に拠りました。
   文中の太字箇所は原文では太字でなく傍点。


■NHK総合テレビ「その時歴史が動いた

 * 2000(平成12)年7月26日(水)放送
   第17回 黒船来航 日米交渉ここに始まる

 * 2003(平成15)年1月8日(水)放送
   第119回 「その時歴史が動いたスペシャル」 ニッポン開国
     第一部:なぜアメリカだったのか? ~ペリーの知られざる外交戦略~
   第120回 「その時歴史が動いたスペシャル」 ニッポン開国
     第二部: 通商か、亡国か? ~日本全権、決死の通商条約締結~

 * 2004(平成16)年6月23日(水)放送
   第183回 大江戸発至急便 黒船あらわる ~幕末日本の情報ネットワーク~

詳細は知りませんが、これらの番組は近い将来すべて、NHKオンデマンド で見たいときに好きなだけ繰り返し見られるようになるのでしょう。


■書籍版「その時歴史が動いた」

上のNHK番組をもとに、エディットが編集し、KTC中央出版が新たにまとめたもの。

Sonotoki4  Sonotoki19  Sonotoki31

   編者:NHK取材班 編集:株式会社エディット 発行:KTC中央出版
   『その時歴史が動いた4』 2001-01-28 発行元による 紹介ページ
   『その時歴史が動いた19』 2003-06-12 発行元による 紹介ページ
   『その時歴史が動いた31』 2005-03-09 発行元による 紹介ページ


■ホーム社漫画文庫「その時歴史が動いた」

上のNHK番組をもとに、ホーム社が新たにまとめたコミック版。

   編者:NHK取材班 発行:ホーム社
   『その時歴史が動いた 幕末回天編』 2005-02-18 発行元による 紹介
   『その時歴史が動いた 幕末・開化編』 2006-09-15 発行元による 紹介
   『その時歴史が動いた 維新の夜明け編』 2007-04-18 発行元による 紹介
   『その時歴史が動いた 決死の外交編』 2007-11-16 発行元による 紹介


■外部リンク External links

 [en] English
   * Y150: A Grand Exposition for Yokohama's 150 Years
     28 April 2009 - 27 September 2009
     A series of events celebrating the 150th anniversary of the opening of
     the Port of Yokohama
   * Mathew C. Perry - Wikipedia (1794-1858)

 [zh] 中國語(繁體字)
   * 開國博Y150: 横濵、150周年大博覧會 (PDF)
     2009年4月28日~2009年9月27日
     横濵開港150周年紀念主題活動

 [ja] 日本語
   * 横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」公式サイト

      Yokohama150_banner_2

   * 『ペリー提督来航150周年記念稀覯書展示会
     ペリーがやって来た! 黒船来航と日本』 (PDF)
     京都外国語大学付属図書館
   * 日米交流150周年記念事業 - 日米交流150年委員会
     2003年4月~2004年7月に公開された公式サイト。その後の更新はない。
     日米交流の始まり >> 参考文献とウェブサイト
   * 横須賀市
     - 文化・歴史:ここはヨコスカ
     - よこすか歴史散歩~幕末・近世編(スカップ3)
   * マシュー・ペリー - Wikipedia (1794-1858)
     - 関連著作
     - 参考文献


■更新履歴 Change log

2009/05/31 NHK総合テレビ「その時歴史が動いた」、書籍版「その時歴史が動いた」、およびホーム社漫画文庫「その時歴史が動いた」の項目を新設しました。


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