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May 2009

Wednesday, 27 May 2009

合衆国大統領への敬称 Forms of speech to U.S. President

■はじめに―ペリー提督の対日交渉ポリシー
 Introduction: Commodore Perry's policies towards the Japanese

ペリーが日本を開国させるために用いた交渉ポリシーは、おもに次の3つだった:
  (1) 武力行使は慎むが、日米の国力の圧倒的な差は見せつける
  (2) 下級役人には会わず、幕府の最上層の官僚とだけ交渉する
  (3) 既成の交渉ルートを持つオランダの仲介に頼らず、直接交渉する

へりくだって近づくと失敗する。前任者や他国の例から学んだペリーは、日本側に「なめられない」ように腐心した。

このうち、ポリシー 2 をペリーはどのように実践したか? まず初めに浦賀の役人が交渉のためペリーの黒船に乗り込もうとしたとき、ペリーはこれを拒んだ。そして、高級な役人である浦賀の責任者とその通訳だけに乗船を許した。また、交渉開始後もペリー自身は顔を出さず、代わって副官に交渉させた。

ペリーに対し日本側はどういう敬称を用いるべきか?――こんな事柄に対してもペリーは注文をつけた。それについて、下に 『ペリー提督日本遠征記』 から引用する。引用文中の「皇帝」とは、京都にいた天皇ではなく、江戸の徳川将軍を指す。

   以上は、次の各情報源に拠って tomoki y. がまとめた。
   * なるほど!幕末 >> 幕末事件簿:開国~江戸開城
   * 日米交流150周年記念事業公式サイト
     >> 日米交流の始まり >> 3. ペリーのプロフィールと交渉術
   * 今津浩一(いまづ・こういち)=著
     『ペリー提督の機密報告書―コンフィデンシャル・レポートと開国交渉の真実
     ハイデンス 2007-10-18


■Map of Uraga, Japan

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■ペリー艦隊の動向 - 1853年7月8日金曜日~15日金曜日(嘉永6年6月3日~10日)
 Perry's squadron: Friday 8 July - Friday 15 July 1853

↓ Click to enlarge ↓

Map_of_uraga_channel
Image source: 櫻岡家の人々>> 櫻岡八郎 >> 浦賀近海船懸之図(現代図)


■日本語訳 Translations into Japanese

(1) 三方 1999
会見の間、奉行と通訳がアメリカ大統領に言及するときは、日本の皇帝のことを話すときと同様の尊称を使うよう、求められた。彼らはこれに同意したけれど、その前は別の表現を用いていた。日本のように何事も形式に則って行われる国では、話すときにも厳密な決まりがあるのだ。言動の細部、微々たるところにまで念入りに注意を払うこと、つまり、なめらかな表面とぴったりと接合させるためには同じようになめらかな表面でなくてはならないように、非常に洗練された形式主義を巧みに用いることが、日本との外交ではねらいどおりの効果をあげることにつながるのだ。

   『猪口孝が読み解く「ペリー提督日本遠征記」
   三方洋子=訳 NTT出版 1999


(2) オフィス宮崎 1997
会議中、奉行と通訳に対し、彼らが皇帝 [将軍] にかぎって使っているのと同じ敬語を合衆国大統領にも用いるよう要求した。彼らはこの要請に応じたが、その前は、2人の貴人ごとに異なる用語を用いていたのである。日本のようになにごとも儀礼的に行なわれている国では、話し方にも厳格な礼儀を守る必要があった。きわめて些細で、まったく取るに足りないような言動のはしばしまで周到に注意することで、日本の外交団にこちらの望み通りの印象を与えることが分かってきた。それはちょうど、なめらかな面に隙なくぴたりと合わせるためには同じなめらかな面が必要であるように、きわめて洗練された形式をきわめて精緻に対応させることによってのみ可能となるのであった。

   『ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1
   オフィス宮崎=訳 栄光教育文化研究所 1997


(3) 大羽 1947, 1953
会談中、奉行とその通詞は合衆国の大統領の事を話す時、日本皇帝と同樣な尊称を使うことを要求された。前にはこの二人の貴人を異った言葉で呼んでいたのだが、すぐにこの要求に同意した。日本のように何でもいろんな儀式が支配している国では、言葉づかいのようなものでもやかましく作法を守る必要があるのだ。そして、どんな細なことでも、又、一向大事なことと思えないような言行にも、せいぜい注意してやることが、対日政策に思うような効果をあげるに大切なことがわかった。対日政策とはちょうど平面にぴったりと合わせるためには同樣になめらかな平面を必要とする様に、最も洗練された礼式を非常に巧に使う時、はじめて達せられるのである。

   大羽綾子=訳
   a.ペリー提督日本遠征記』 法政大学出版局 1953
   b.ペルリ提督遠征記』 酣灯社 1947
   引用は a. に拠りました。「細」の「」は原文では太字でなく傍点。
   「樣」が初めに2回、「様」が後に1回現われ、旧字と新字が混用されています。


(4) 土屋+玉城 1935, 1948, etc.
會議中に奉行と通譯とに對して、彼等が特に皇帝に對して使用してゐるものと同樣の敬語を合衆國大統領に對しても用ひるやうにと要求した。彼等はその要求に應じた。但しそれ以前には高貴の二人に對して異つた用語を用ひてゐたのである。日本の如く何でも儀禮的に行はれてゐる國に於ては、用語にさへ嚴密な儀禮を守ることが必要であつた。又極めて些細にして、一見極めて重要ならざる言葉や行動の端にも周到に注意することによつて、日本の外交團に好ましい印象を與へることができるといふことを發見した。恰度一つの滑な面にピッタリとくつつけるためには同じやうな滑な面が必要であるのと同じく、極めて洗煉された形式を極めてうまくあてはめることによつてのみ、彼等を十分に感動させることができ、且彼等と歩調を合せることができるのである。

   土屋喬雄+玉城肇=訳
   a.ペルリ提督日本遠征記(上)』 臨川書店 1988
   b.ペルリ提督日本遠征記2』 岩波文庫 1948
   c.ペルリ提督日本遠征記(上)』 弘文荘 1935 (昭和10)
   引用は b. に拠りました。太字箇所は原文では太字でなく傍点。


■英語原文 The original text in English

During the conference, the governor and his interpreter were requested to use the same designation in speaking of the President of the United States as that by which they distinguished the Emperor. They complied with this request, although, previous to it, they had used different terms for the two dignitaries. In a country like Japan, so governed by ceremonials of all kinds, it was necessary to guard with the strictest etiquette even the forms of speech ; and it was found that by a diligent attention to the minutest and apparently most insignificant details of word and action, the desired impression was made upon Japanese diplomacy ; which, as a smooth surface requires one equally smooth to touch it at every point, can only be fully reached and met by the nicest adjustment of the most polished formality.

   Chapter 12
   Narrative of the Expedition of an American Squadron
   to the China Seas and Japan, performed in the years
   1852, 1853, and 1854. Volume 1. 1856.


■引用箇所を掲載した原典のページの複写画像
 Scanned images of the pages containing the excerpts quoted above

↓ Click to enlarge ↓
Page238_perry_narrative

 

 [en] English
   Volume 1, Chapter 12, Page 238.
   Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas
   and Japan, 1856.
   Image source: here at The Otis Cary Collection,
   Digital archive of rare materials,
   Doshisha University Academic Repository.
   Scanned page containing the above excerpt is here.

 [ja] 日本語
   『アメリカ艦隊による中国海域および日本への遠征記』 1856
   電子複写本の第1巻は、同志社大学学術リポジトリ
   貴重書デジタル・アーカイブ ケーリ文庫のなかの ここ にある。
   上に引用した箇所を含むページは ここ にある。


■日本語訳 の書誌情報詳細 Bibliographic details of translations into Japanese

(1) 三方 1999
   第十二章 琉球から江戸へ・浦賀湾に投錨
   猪口孝(いのぐち・たかし)=監修 三方洋子(みかた・ようこ)=訳
   『猪口孝が読み解く「ペリー提督日本遠征記」』 NTT出版 1999-09 部分訳。


(2) オフィス宮崎 1997
   第12章
   加藤祐三=序文 オフィス宮崎=翻訳・構成 宮崎寿子=制作責任者
   『ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1』 (全3巻)
   栄光教育文化研究所 1997-10-10
   原書:アメリカ合衆国議会公文書:第1巻US(S)771-79
   オフィス宮崎による紹介ページは ここ


(3) 大羽 1947, 1953
   第一部 最初の訪日―― 一八五三年(嘉永六年)
   第六章 アメリカ艦隊、日本本土にせまる
   合衆国海軍省=編 大羽綾子(おおば・あやこ)=訳
   a.ペリー提督日本遠征記』 法政大学出版局 1953-07-15 定価390円
   b.ペルリ提督遠征記』 酣灯社(かんとうしゃ)1947-02-10 定價三十五圓
   引用は a. に拠りました。


(4) 土屋+玉城 1935, 1948
   第十二章 江戸に向つて出發――江戸灣入港
   土屋喬雄(つちや・たかお)+玉城肇(たまき・はじめ)=訳
   a.ペルリ提督日本遠征記(上)』(全2冊)臨川書店 1988-01
   b. 第七章 『ペルリ提督日本遠征記2』(全4冊)岩波文庫 1948-08-15
   c.ペルリ提督日本遠征記(上)』(全2冊)弘文荘 1935-03-10(昭和10)
     發行者:反町茂雄 定價十五圓 五百部印行
   a. c. の複製。引用は b. に拠りました。
   文中の太字箇所は原文では太字でなく傍点。


■NHK総合テレビ「その時歴史が動いた

 * 2000(平成12)年7月26日(水)放送
   第17回 黒船来航 日米交渉ここに始まる

 * 2003(平成15)年1月8日(水)放送
   第119回 「その時歴史が動いたスペシャル」 ニッポン開国
     第一部:なぜアメリカだったのか? ~ペリーの知られざる外交戦略~
   第120回 「その時歴史が動いたスペシャル」 ニッポン開国
     第二部: 通商か、亡国か? ~日本全権、決死の通商条約締結~

 * 2004(平成16)年6月23日(水)放送
   第183回 大江戸発至急便 黒船あらわる ~幕末日本の情報ネットワーク~

詳細は知りませんが、これらの番組は近い将来すべて、NHKオンデマンド で見たいときに好きなだけ繰り返し見られるようになるのでしょう。


■書籍版「その時歴史が動いた」

上のNHK番組をもとに、エディットが編集し、KTC中央出版が新たにまとめたもの。

Sonotoki4  Sonotoki19  Sonotoki31

   編者:NHK取材班 編集:株式会社エディット 発行:KTC中央出版
   『その時歴史が動いた4』 2001-01-28 発行元による 紹介ページ
   『その時歴史が動いた19』 2003-06-12 発行元による 紹介ページ
   『その時歴史が動いた31』 2005-03-09 発行元による 紹介ページ


■ホーム社漫画文庫「その時歴史が動いた」

上のNHK番組をもとに、ホーム社が新たにまとめたコミック版。

   編者:NHK取材班 発行:ホーム社
   『その時歴史が動いた 幕末回天編』 2005-02-18 発行元による 紹介
   『その時歴史が動いた 幕末・開化編』 2006-09-15 発行元による 紹介
   『その時歴史が動いた 維新の夜明け編』 2007-04-18 発行元による 紹介
   『その時歴史が動いた 決死の外交編』 2007-11-16 発行元による 紹介


■外部リンク External links

 [en] English
   * Y150: A Grand Exposition for Yokohama's 150 Years
     28 April 2009 - 27 September 2009
     A series of events celebrating the 150th anniversary of the opening of
     the Port of Yokohama
   * Mathew C. Perry - Wikipedia (1794-1858)

 [zh] 中國語(繁體字)
   * 開國博Y150: 横濵、150周年大博覧會 (PDF)
     2009年4月28日~2009年9月27日
     横濵開港150周年紀念主題活動

 [ja] 日本語
   * 横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」公式サイト

      Yokohama150_banner_2

   * 『ペリー提督来航150周年記念稀覯書展示会
     ペリーがやって来た! 黒船来航と日本』 (PDF)
     京都外国語大学付属図書館
   * 日米交流150周年記念事業 - 日米交流150年委員会
     2003年4月~2004年7月に公開された公式サイト。その後の更新はない。
     日米交流の始まり >> 参考文献とウェブサイト
   * 横須賀市
     - 文化・歴史:ここはヨコスカ
     - よこすか歴史散歩~幕末・近世編(スカップ3)
   * マシュー・ペリー - Wikipedia (1794-1858)
     - 関連著作
     - 参考文献


■更新履歴 Change log

2009/05/31 NHK総合テレビ「その時歴史が動いた」、書籍版「その時歴史が動いた」、およびホーム社漫画文庫「その時歴史が動いた」の項目を新設しました。


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■洋書 Books in non-Japanese languages

■和書 Books in Japanese
(1) ペルリ

(2) ペリー+開国

(3) ペリー+黒船

(4) ペリー+日本遠征

(5) ペリー+浦賀

  

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Monday, 25 May 2009

Letter from Franz Kafka to Milena Jesenská (March 1922) カフカからミレナへの手紙 (1922年3月)

        目次 Table of Contents

■はじめに Introduction
 Image gallery 1  ブーバー=ノイマン著 『ミレナ』 Milena by Buber-Neumann
 Image gallery 2  カフカ著 『ミレナへの手紙』 Letters to Milena by Kafka
■日本語訳 Translations into Japanese
  (J1) 池内 2013
  (J2) 辻 1959, 1981, etc.
■ロシア語訳 Translation into Russian
■イタリア語訳 Translation into Italian
■スペイン語訳 Translation into Spanish
■フランス語訳 Translations into French
  (F1)
  (F2) 1988
■英訳 Translations into English
  (E1) Boehm, 1990
  (E2) Stern & Stern, 1953
■ドイツ語原文 The original text in German
■外部リンク External links
■更新履歴 Change log


■はじめに Introduction

カフカにとって、ラブレターとはどのようなものであったか? 本人の言い分を、恋人ミレナ・イェセンスカ宛ての手紙のなかから抜粋してご紹介する。

カフカとミレナの二人は1919年10月、プラハのカフェで初めて会った。下に引用する手紙は1922年3月末、カフカがプラハで発信したと推定される。複数の女性との間で、婚約と婚約解消を繰り返したカフカは、この手紙を書いたのち、ミレナともけっきょく別れることになる。二人が最後に会ったのは1923年6月であるらしい。

一年後にカフカは結核で死んだ。ミレナはその後、作家・ジャーナリスト・編集者・翻訳家として活躍した。カフカの死から20年後、ミレナはベルリンから北へ80キロメートルに位置するナチス・ドイツのラーフェンスブリュック強制収容所で腎不全のため亡くなった。


 Image gallery 1 
表紙画像: ブーバー=ノイマン著 『ミレナ』
Cover photos: Milena by Buber-Neumann

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 Image gallery 2 
表紙画像: カフカ著 『ミレナへの手紙』
Cover photos: Letters to Milena by Kafka

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■日本語訳 Translations into Japanese

(J1) 池内 2013
手紙を書くというのは、じっと待ち受けている亡霊の前で全裸になること。書かれたキスは相手の口に届かず、待ち受けている亡霊が横取りして飲みつくす。

  • [一九二二年三月末、プラハ]
    フランツ・カフカ=著 池内紀(いけうち・おさむ)=訳 『ミレナへの手紙』 白水社 2013-06-25
  • 底本: Franz Kafka. Briefe an Milena. Erweiterte und neu geordnete Ausgabe. Herausgegeben von Jürgen Born und Michael Müller. S. Fischer Verlag, Frankfurt am Main. 1983. この原書はいわゆる『ミレナへの手紙』新版。手稿版『カフカ全集』編纂チームの主要メンバーとして知られるユルゲン・ボルンとミヒャエル・ミュラーによって「増補され、新しく配列された版」。

(J2) 辻 1959, 1981, etc.
手紙を書くとはしかし、貪欲にそれを待ちもうけている亡霊たちの前で、裸になることに他なりません。書かれたキスは至るべきところに到達せず、途中で亡霊たちに飲みつくされてしまうのです。


■ロシア語訳 Translation into Russian
А писать письмо – это значит обнажаться перед призраками, чего они с жадностью и ждут. Написанные поцелуи не доходят по адресу – их выпивают призраки по дороге.

  • Франц Кафка. Письма к Милене
  • Excerpt at LiveLib

■イタリア語訳 Translation into Italian
Scrivere lettere però significa denudarsi davanti ai fantasmi che ciò attendono avidamente. Baci scritti non arrivano a destinazione, ma vengono bevuti dai fantasmi durante il tragitto.

  • Franz Kafka, Lettera a Milena (1922)
  • Excerpt at Bombasicilia (PDF)

■スペイン語訳 Translation into Spanish
Escribir cartas, sin embargo, significa desnudarse ante los fantasmas, que las esperan con avidez. Los besos por escrito no llegan a su destino, se los beben por el camino los fantasmas.


■フランス語訳 Translations into French

(F1)
Ecrire des lettres, c'est se mettre nu devant les fantômes ; ils attendent ce moment avidement. Les baisers écrits ne parviennent pas à destination, les fantômes les boivent en route.

  • Franz Kafka - Une Lettre à Milena
  • Excerpt at Dark Lady

(F2) 1988
Écrire des lettres, c'est se mettre nu devant les fantômes. Ils attendent ce geste avidement. Les baisers écrits ne parviennent pas à leur destination. Les fantômes les boivent en chemin.


■英訳 Translations into English

(E1) Boehm, 1990
Writing letters, on the other hand, means exposing oneself to the ghosts, who are greedily waiting precisely for that. Written kisses never arrive at their destination; the ghosts drink them up along the way.


(E2) Stern & Stern, 1953
Writing letters, however, means to denude oneself before the ghosts, something for which they greedily wait. Written kisses don't reach their destination, rather they are drunk on the way by the ghosts.


■ドイツ語原文 The original text in German
Briefe schreiben aber heißt, sich vor den Gespenstern entblößen, worauf sie gierig warten. Geschriebene Küsse kommen nicht an ihren Ort, sondern werden von den Gespenstern auf dem Wege ausgetrunken.


■外部リンク External links


■更新履歴 Change log

  • 2013-09-17 外部リンクに阿部敏之氏の記事へのリンクを追加しました。
  • 2013-09-16 外部リンクに阿部賢一氏の記事へのリンクを追加しました。
  • 2013-09-13 ブーバー=ノイマン著のポーランド語版、チェコ語版、イタリア語版およびスペイン語版の表紙画像を追加しました。また、『ミレナへの手紙』イタリア語版その他の表紙画像も追加しました。
  • 2013-09-11 ロシア語訳と池内紀=訳 2013-06-25 の訳文と表紙画像を追加しました。また、辻瑆=訳の書誌情報を修正・補足しました。さらに、これまで2種類の英訳から混乱した引用の仕方をしていたのを修正しました。

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Sunday, 24 May 2009

How to Be an Alien by George Mikes ジョルジ・ミケス / ジョージ・ミケシュ 『異邦人のための心得』『英国人入門』『外人処世訓』

           目次 Table of Contents

   ■はじめに Introduction
    Images  挿絵と表紙 An illustration and book covers
   ■日本語訳 Translations into Japanese
     (J1) 島 1994
     (J2) 浅倉 1980, 1991
     (J3) 倉谷 1978
     (J4) いわさき 1958
   ■英語原文 The original text in English
    Video  George Mikes Quotes
   ■電子テキストと抜粋 E-text and excerpts
   ■外部リンク External links
   ■更新履歴 Change log


■はじめに Introduction

原書の初版は1946年。ユーモラスな英国人論として、現代の古典ともいうべき地位を確立しているロングセラー。著者ジョージ・ミケシュ (1912-1987) はハンガリー生まれでイギリスに移住したジャーナリスト。しかし、ニコラス・ベントレーによる挿絵がなかったら、ここまで楽しめる本にはならなかっただろう。


 Images 
挿絵と表紙 An illustration and book covers

↓ Click to enlarge ↓

a. Good_afternoon  b. How_to_be_an_alien_penguin  c. How_to_be_an_alien_1st_ed

■日本語訳 Translations into Japanese

(J1) 島 1994
大陸の名だたる演説者はよどみなく、なめらかに話そうと心がけているんですが、片やイギリスの演説者はオックスフォード風にどもるあの特別弁説法というやつでぶちまくるんですよ。それに大陸では学識者たちは、やれアリストテレスだ、ホラチウスだ、モンテー二ュだのとやたら引用しては、知識をひけらかすのが好きですが、イギリスでは無学の人々だけが、知識をひけらかしているんです。一度でも読んだことがあれば、会話の中でラテン語やギリシャ語の作家を口にすることは御法度なのですね。

   一章 一般異邦人のための心得 初心者への警告(所変われば品変わる)
   ジョルジ・ミケス=著 島竜子(しま・りゅうこ)=訳
   『異邦人のための心得』 近代文芸社 1994-09-01


(J2) 浅倉 1980, 1991
大陸では、演説家は立て板に水でしゃべれるように勉強をする。英国では、演説家はオックスフォード式吃音法の特訓をうける。大陸では、学問のある人間が好んでアリストテレスやホラティウスやモンテー二ュを引用し、教養をひけらかす。英国では、教養をひけらかすのは無学な人間だけである。会話の中に、ギリシア・ローマの古典を引用したりするものは、だれもいない――古典を読んだことのない人間を除いて。

   ジョージ・ミケシュ=著 「英国人入門」 初心者への注意
   a. フランク・サリヴァン〔ほか〕=著 浅倉久志(あさくら・ひさし)=編訳
     『忘れられたバッハ』 ユーモア・スケッチ 絶倒篇
     ハヤカワ文庫NV 早川書房 1991-11-30
   b. 浅倉久志=編訳 『ユーモア・スケッチ傑作展2』 早川書房 1980-09
   引用は a. に拠りました。


(J3) 倉谷 1978
ヨーロッパ諸国では、流暢に円滑にしゃべるのが演説であるが、英国では、弁士を志す者は特別コースに通ってオックスフォード流のドモリかたを学ぶ。アリストテレス、ホラチウス、モンテーヌを引用して学のあるところを見せびらかすのが、ヨーロッパ風。英国では、教養をひけらかすのは無教養のしるしとされ、会話の中でギリシャ・ラテンの文人をもち出す者はいない。もっとも、そういった文人の作品を一度も読んだことのない人間は、よく引用するものだが。

   英国人の教養
   G・ミケシュ=著 倉谷直臣(くらたに・なおおみ)=編訳
   『没落のすすめ―「英国病」讃歌』 講談社現代新書 1978-12-20


(J4) いわさき 1958
大陸では公開弁士は流暢に円滑にしゃべる術を身につけようと骨折るが、イギリスでは特別課程(コース)を取ってオックスフォド流のどもりかたを稽古する。大陸では学者は喜んでアリス トテレス、ホラチウス、モンテーヌを引用して学のあるところをひけらかすが、イギリスでは学問を見せびらかすのは無教育な連中だけで、談話の中でラテンやギリシアの作家をもち出すものはいない。もっとも、そういう作家を読んだことのない人はやることがある。

   一 外人処世訓 ―― 一般論  初学者への警告
   「外人処世訓―初学者および上級生用便覧」
   ジョージ・ミケシュ=著 ニコラス・ベントレー=画
   いわさき・たみへい(岩崎民平)=訳
   『おかめ八もく英米拝見』 研究社出版 1958-03-25

   このいわさき訳は How to Be an Alien (1946) と How to Scrape Skies (1948)
   という、もとは2冊の本を、邦訳して1冊に収めたもの。How to Be an Alien の
   邦題が「外人処世訓」。How to Scrape Skies の邦題は「天空摩擦の法」。
   後者の原書は次のとおり:
   How to Scrape Skies: The United States Explored, Rediscovered
   and Explained (1948)


■英語原文 The original text in English

On the Continent public orators try to learn to speak fluently and smoothly; in England they take a special course in Oxonian stuttering. On the Continent learned persons love to quote Aristotle, Horace, Montaigne and show off their knowledge; in England only uneducated people show off their knowledge, nobody quotes Latin and Greek authors in the course of a conversation, unless he has never read them.

   Chapter 1 - How to be a General Alien
   A Warning to Beginners
   How to Be an Alien by George Mikes


 Video 
George Mikes Quotes

Uploaded to YouTube by quotetank on 26 Mar 2012


■電子テキストと抜粋 E-text and excerpts

  E-text at:

  Excerpts at:


■外部リンク External links


■更新履歴 Change log

  • 2013/07/09 目次を新設しました。
  • 2013/03/25 George Mikes Quotes の YouTube 動画を追加しました。
  • 2009/05/31 島竜子=訳 1994-09-01 といわさき・たみへい=訳 1958-03-25 を追加しました。また、このブログ記事の題をつぎのとおり変更しました。
    • 旧題: How to Be an Alien by George Mikes ジョルジ・ミケス/ジョージ・ミケシュ『異邦人のための心得』『英国人入門』『おかめ八もく英米拝見』
    • 新題: How to Be an Alien by George Mikes ジョルジ・ミケス/ジョージ・ミケシュ『異邦人のための心得』『英国人入門』『外人処世訓』

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■和書 Books in Japanese

  

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Tuesday, 19 May 2009

Letter from Commodore Perry to the Emperor of Japan ペリー提督から日本帝国皇帝への手紙

■はじめに――二人の皇帝 Introduction: Two Emperors of Japan

[ja] 日本には、2人の皇帝が並び立っているという奇妙な特徴がある。ひとりは世俗的な役割を、もうひとりは宗教的な役割を担っている(……)

   序論 第3節 政府
   『ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1
   オフィス宮崎=訳 栄光教育文化研究所 1997

[en] Japan presents the singular feature of having two Emperors at the same time, the one secular, the other ecclesiastical ( . . . )

   Introduction. Section 3: Government.
   Narrative of the Expedition of an American Squadron
   to the China Seas and Japan, performed in the years
   1852, 1853, and 1854. Volume 1. 1856.

これは、ヨーロッパにおける、国王とローマ法王との関係に似ている。条約締結にあたって誰と交渉するかが最重要の課題であった。アメリカ大統領国書の宛先も、同時に添えたペリー書簡も宛先は「日本国皇帝」(Emperor of Japan) となっている。受理したのは幕府であった。ここで事実上、日本国皇帝イコール徳川将軍の関係が確立した。

   第二章 アメリカ東インド艦隊 4. アメリカの得た日本情報
   加藤祐三(かとう・ゆうぞう)=著 『幕末外交と開国
   ちくま新書 筑摩書房 2004-01-10


■「皇帝」への手紙 Letter to the Emperor

下に引用するのが、そのペリー書簡。つまり1853年に、当時のアメリカ合衆国海軍東インド艦隊司令長官が日本の「皇帝」に宛てて書いた手紙。

上に加藤氏が述べているとおり、この「皇帝」とは、京都にいた皇帝ではなく江戸にいた皇帝のほうを指す。司令長官ペリー提督は、天皇ではなく徳川将軍に宛てて、この手紙を書いた。

こういう二国間のトップレベルの人どうしで交わされる手紙は、どういう文体の日本語に訳すべきか? 私にはわからない。


■表紙その他 Cover photos, etc.

a. オフィス宮崎=編訳 『ペリー艦隊日本遠征記(上)』(全2冊) 万来舎 2009-04 原書Vol. 1を二分冊に収録。下の b. を再編集したもの。詳細は ここ

b. オフィス宮崎=編訳 『ペリー艦隊日本遠征記 Vols.1-3』(全3巻・海図付セット) 栄光教育文化研究所 1997 原書Vols.1-3を三分冊に収録。カラー図版や組版も含め、原書を忠実に再現した初の完訳版。定価150,000円 分売不可。オフィス宮崎による紹介ページは ここ

c. Narrative of the Expedition to the China Seas and Japan, 1852-1854  by Matthew Calbraith Perry (Commodore M. C. Perry). Paperback. Dover Publications. 2000-09-15

↓ Click to enlarge ↓

a. Perry_kantai_nihon_enseiki_jou  b. Perry_3_vols_office_miyazaki_3  c. Perry_narrative_of_the_expedition

■日本語訳 Translations into Japanese

(1) 三方 1999
アメリカ蒸気艦サスケハナ号にて
ウラガ 一八五三年七月十二日
 条約を協議する全権を賦与された、この海域における米国海軍の提督である私は、皇帝の最高位の臣下と協議することを望んでいる。それは、米国大統領から皇帝にあてた国書および信任状の原本を奉呈するためである。
 その会見のために、できるだけ早い日時が設定されることを望む。
 日本国皇帝殿

   『猪口孝が読み解く「ペリー提督日本遠征記」
   三方洋子=訳 NTT出版 1999


(2) オフィス宮崎 1997
合衆国蒸気フリゲート艦サスケハナ号
浦賀 1853年7月12日
 当海域における合衆国海軍司令長官は、条約の協議に関する全権を委任されており、本官に対する信任状の原文、および本官に委任されている合衆国大統領より皇帝陛下宛ての親書の原文を捧呈する準備をするために、日本帝国の最高位役人と会談することを切望する。
 日本帝国皇帝陛下に呈す。

   『ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1
   オフィス宮崎=訳 栄光教育文化研究所 1997


(3) 木原 1996
合衆国汽走フリゲート艦サスケハナ号
浦賀にて、一八五三年七月十二日
 本海域に駐屯する合衆国海軍司令長官は、条約交渉の全権を付与された者であり、日本帝国最高の役職者の一人と協議したいと望んでおります。その目的は、司令長官の信任状の原本を提示するとともに、合衆国大統領より託された皇帝陛下への国書の原本をお渡しすることであります。
 そのための会見をなるべく早く行いたく、日程を指定していただけるよう希望いたします。
 日本国皇帝陛下

   『ペリー提督日本遠征日記
   木原悦子=訳 小学館 1996


(4) 金井 1985
浦賀にある合衆国蒸気フリゲート艦サスケハナ号にて
一八五三年七月十二日〔嘉永六年六月七日〕
 当海域における合衆国海軍司令長官は、条約協議のための全権を委任されており、本官に対する信任状の原文、ならびに本官が合衆国大統領により委任された皇帝陛下あての親書の原文を捧呈するための手順を整えるため、日本帝国の最高位の役人の一人との会談を切望するものである。
 提案された会見のための一日も早い日取りが決定されるよう希望するものである。
 日本帝国皇帝陛下に呈す。

   『ペリー日本遠征日記
   金井圓=訳 雄松堂出版 1985


(5) 大羽 1947, 1953
於浦賀碇泊の合衆国旗艦サスクェンナ号、
一八五三年七月十二日
 この海域における合衆国艦隊司令長官は条約締結の全権を委任されたるを以て、拙官信任状並びに合衆国大統領より日本国皇帝陛下に宛てたる親書捧呈に関して、日本国最高官吏との協議を切望致しおれり。
 接見の日時は早々御取極め下されるよう希望するものなり。
 日本国皇帝陛下

   大羽綾子=訳
   a.ペリー提督日本遠征記』 法政大学出版局 1953
   b.ペルリ提督遠征記』 酣灯社 1947
   引用は a. に拠りました。


(6) 土屋+玉城 1935, 1948, etc.
合衆國船フリゲート艦サスクエハンナ號にて
一八五三年七月十二日 浦賀に於て
 當海洋に於ける合衆國海軍の司令長官は條約協議に關する全權を委任せられ居るものにして、本官に對する信任状原文並びに本官に委託されたる合衆國大統領より皇帝陛下宛ての親書原文を捧呈するの準備をなさんがために、日本帝國の最高役人の一人との會商を切願するものなり。
 願はくは會見の日の一日も早く決定せられんことを。
 日本帝國皇帝陛下に呈す

   土屋喬雄+玉城肇=訳
   a.ペルリ提督日本遠征記(上)』 臨川書店 1988
   b.ペルリ提督日本遠征記2』 岩波文庫 1948
   c.ペルリ提督日本遠征記(上)』 弘文荘 1935 (昭和10)
   引用は b. に拠りました。太字箇所は原文では太字でなく傍点。


(7) 鈴木 1912, 1937
[次のとおり抄訳/再話。まずルビなしで示す - tomoki y.]
是より先提督は、日本の皇帝陛下に宛てた信任状と國書捧呈に關して貴帝國の最高官の一人と豫め打合せを致したいと云ふ旨を認めた手紙とを用意して置いた。

[原文は次のとおり総ルビ - tomoki y.]
是(これ)より先(さき)提督(ていとく)は、日本(にほん)の皇帝陛下(くわうていへいか)に宛(あ)てた信任状(しんにんじやう)と國書(こくしよ)捧呈(はうてい)に關(くわん)して貴帝國(きていこく)の最高官(さいかうくわん)の一人(ひとり)と豫(あらかじ)め打合(うちあは)せを致(いた)したいと云(い)ふ旨(むね)を認(したゝ)めた手紙(てがみ)とを用意(ようい)して置(お)いた。

   鈴木周作=抄譯
   a.ペルリ提督日本遠征記』 大同館書店 1937 (昭和12)
   b.ペルリ提督日本遠征記』 大同館 1912 (明治45)
   引用は b. に拠りました。


■英語原文 The original text in English

"United States Steam Frigate Susquehanna,
Uraga, July 12, 1853.

  "The Commander-in-chief of the United States naval forces in these seas, being insested with full powers to negotiate treaties, is desirous of conferring with one of the highest offices of the Empire of Japan, in view of making arrangements for the presentation of the original of his letter of credence, as also the original of a letter with which he is charged, addressed to his Imperial Majesty by the President of the United States.
  "It is hoped that an early day will be appointed for the proposed interview.
  "To his Imperial Majesty the Emperor of Japan."

   Chapter 13
   Narrative of the Expedition of an American Squadron
   to the China Seas and Japan, performed in the years
   1852, 1853, and 1854. Volume 1. 1856.


■引用箇所を掲載した原典のページの複写画像
 Scanned images of the pages containing the excerpts quoted above

↓ Click to enlarge ↓

Perry_japanese_2   Perry_english_3

Left

 [en] English
   Page 90 (Image 118 of 368)  Peruri Teitoku Nihon enseiki.
   Perry, Matthew Calbraith.  Daidōkan, Meiji 45 [1912]
   Perry Visits Japan: a visual history
   Brown University Library, Center for Digital Initiatives (CDI)

 [ja] 日本語
   『ペルリ提督日本遠征記』 大同館 1912-06-15(明治45)

Right

 [en] English
   Volume 1, Chapter 13, Page 244.
   Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas
   and Japan, 1856.
   Image source: here at The Otis Cary Collection,
   Digital archive of rare materials,
   Doshisha University Academic Repository.
   Scanned page containing the above excerpt is here.

 [ja] 日本語
   『アメリカ艦隊による中国海域および日本への遠征記』 1856
   電子複写本の第1巻は、同志社大学学術リポジトリ
   貴重書デジタル・アーカイブ ケーリ文庫のなかの ここ にある。
   上に引用した箇所を含むページは ここ にある。


■日本語訳 の書誌情報詳細 Bibliographic details of translations into Japanese

(1) 三方 1999
   第十三章 浦賀の役人との交渉・大統領国書を呈上
   猪口孝(いのぐち・たかし)=監修 三方洋子(みかた・ようこ)=訳
   『猪口孝が読み解く「ペリー提督日本遠征記」』 NTT出版 1999-10-07 部分訳。


(2) オフィス宮崎 1997
   第13章
   加藤祐三=序文 オフィス宮崎=翻訳・構成 宮崎寿子=制作責任者
   『ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1』 (全3巻)
   栄光教育文化研究所 1997-10-10
   原書:アメリカ合衆国議会公文書:第1巻US(S)771-79
   オフィス宮崎による紹介ページは ここ


(3) 木原 1996
   第二章 日記・第二巻 江戸湾進入
   マシュー・C・ペリー=原著 木原悦子(きはら・えつこ)=訳
   『ペリー提督日本遠征日記』 地球人ライブラリー 小学館 1996-10-20


(4) 金井 1985
   第二冊 対日予備交渉と広東滞在
   一八五三年六月から一八五四年二月まで
   測量と測深
   金井圓(かない・まどか)=訳
   『ペリー日本遠征日記』 新異国叢書 第2輯1 雄松堂出版 1985-10-25


(5) 大羽 1947, 1953
   第一部 最初の訪日――一八五三年(嘉永六年)
   第七章 ペリー提督日本上陸、国書奉呈
   合衆国海軍省=編 大羽綾子(おおば・あやこ)=訳
   a.ペリー提督日本遠征記』 法政大学出版局 1953-07-15 定価390円
   b.ペルリ提督遠征記』 酣灯社(かんとうしゃ)1947-02-10 定價三十五圓
   引用は a. に拠りました。


(6) 土屋+玉城 1935, 1948
   土屋喬雄(つちや・たかお)+玉城肇(たまき・はじめ)=訳
   a.ペルリ提督日本遠征記(上)』 臨川書店 1988-01
   b. 第一章 『ペルリ提督日本遠征記2』(全4冊)岩波文庫 1948-08-15
   c.ペルリ提督日本遠征記(上)』(全2冊)弘文荘 1935-03-10(昭和10)
     發行者:反町茂雄 定價十五圓 五百部印行
   a. c. の複製。引用は b. に拠りました。
   文中の太字箇所は原文では太字でなく傍点。


(7) 鈴木 1912, 1937
   第三編 浦賀の卷上 九 江戸の挨拶
   櫻井省三=校閲 鈴木周作=抄譯
   a.ペルリ提督日本遠征記』 大同館書店 1937-10-20(昭和12)
     定價金貳圓
   b.ペルリ提督日本遠征記』 大同館 1912-06-15(明治45)
     定價金壹圓貳拾錢
   引用は b. に拠りました。


■英語原典の書誌情報詳細 Bibliographic details of the original source in English

↓ Click to enlarge ↓

Perry_narrative_title_page
Image source: Here at The Otis Cary Collection,
Digital archive of rare materials, Doshisha University Academic Repository.

 [en] English

 The following is a full reproduction of the title page of the original book.
 以下は原書扉の記載をすべて転載したもの。

   Narrative of the expedition of an American squadron
   to the China seas and Japan, performed in the years
   1852, 1853, and 1854 under the command of Commodore M. C. Perry,
   United States Navy, by order of the Government of the United States.

   Compiled from the original notes and journals
   of Commodore Perry and His Officers, at His Request,
   and Under His Supervision, by Francis L. Hawks, D.D. L.D.D.
   with Numerous Illustrations.

   Published by order of the Congress of the United States.
   Washington, Beverley Tucker, Senate printer, 1856. 3 Volumes.

 [ja] 日本語

 What follows is the Japanese equivalent of the above.
 以下は上記の日本語訳。訳文は 『ペリー艦隊日本遠征記
 栄光教育文化研究所 1997 に拠る。

   アメリカ艦隊による中国海域および日本への遠征記
   合衆国政府の命を受け合衆国海軍 M・C・ペリー提督によって
   1852、1853、および1854年に実施された。

   ペリー提督と、その要請による士官たちの原記録と日誌に基づき
   神学博士、法学博士フランシス・L・ホークスの監督
   のもとに編纂され多数の図版も収録した。

   合衆国議会の命により出版
   ワシントン 1856年


■マシュー・C・ペリーに関連する画像ギャラリー
 Galleries of images related to Matthew C. Perry

   * Commodore Perry and the Opening of Japan. Naval Diplomat and Collector
     The Fitzwilliam Museum, University of Cambridge
   * Search images related to Matthew C. Perry
     Yale University Beinecke Rare Book and Manuscript Library
   * Perry Visits Japan: a visual history
     Brown University Library, Center for Digital Initiatives
   * Black Ships & Samurai
     MIT Visualizing Cultures


■その他の外部リンク Other external links

 [en] English
   * Y150: A Grand Exposition for Yokohama's 150 Years
     28 April 2009 - 27 September 2009
     A series of events celebrating the 150th anniversary of the opening of
     the Port of Yokohama
   * Mathew C. Perry - Wikipedia (1794-1858)

 [zh] 中國語(繁體字)
   * 開國博Y150: 横濵、150周年大博覧會 (PDF)
     2009年4月28日~2009年9月27日
     横濵開港150周年紀念主題活動

 [ja] 日本語
   * 横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」公式サイト

      Yokohama150_banner_2

   * マシュー・ペリー - Wikipedia (1794-1858)
     - 関連著作
     - 参考文献


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(1) ペリー+開国

(2) ペリー+黒船

(3) ペリー+日本遠征

  

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Friday, 15 May 2009

La Morte / Was it a dream? by Guy de Maupassant モーパッサン/モウパツサン「死せる女」「一場の夢?」「死んだ女」「夢かあらぬか」「夢なりしか」

■はじめに Introduction

哀れな男についての、ごく短くてシンプルな話。ホラー仕立て。文庫本で8ページ程度。終始一人称で語られる。下に引用するのは、その冒頭の一パラグラフ。


 Images 
表紙画像 Cover photos

↓ クリックして拡大 Click to enlarge ↓
a. Maupassant_kessakusen  b. Maupassant_tampensen
c. Maupassant_zankoku_tampenshu  d. Maupassant_yamada_chikuma_2009_2

上の a.〜c. の3冊の本は、いずれも新本または古本で比較的容易に入手できます。でも、3冊とも La Morte の邦訳を収録していません。この短篇は最近の日本ではあまり高く評価されていないのでしょうか? 1980年代以降に出た邦訳書でこれを収録しているものを探しましたが見当たりませんでした。

――と思っていたら、2009年10月に出た d. ちくま文庫版に、山田登世子さんによる新訳が収録されました。(2009/10/28 追記)


■日本語訳 Translations into Japanese

(J1) 山田(登) 2009
おれは夢中で愛していた! なぜ愛するのかだと? 世界じゅうでただ一人の女の姿しか眼に入らないのがおかしいとでもいうのか? 頭にあるのはただ一つのこと、胸にあるのはただ一つの欲望、口にするのはただ一つの名前、それがおかしいのか? その名はたえず口にのぼり、泉から湧きでる水のように、魂の深みから湧きでて唇にのぼる。おれはその名を言ってみる、もういちど言ってみる、絶え間なくその名を呼ぶ。どこにいても、どんなときも、祈りみたいに。

  • ギ・ド・モーパッサン=著 山田登世子(やまだ・とよこ)=訳「死せる女」 山田登世子=編訳 『モーパッサン短篇集』 ちくま文庫 2009/10/10

(J2) 長谷 1977
ぼくは気が狂うほどに彼女を愛していた。 どうして人は恋をするのだろう? どうして恋になど陥るのだろう? まったく実におかしな話だ。この広い世間を舞台に、たった一人の人物しか目に入らず、頭にはたった一つの考えしかない。心はただ一つの想いに燃え、唇にはただ一つの名をのぼせる――清水のように湧き上る、魂の奥底から唇へと絶えず湧き上ってくる名前、幾度でも飽きずに繰り返す名、いつもいつも、どこにいても、お祈りでも唱えるようにひとり囁いてみる名。


(J3) 新庄 1964, 1965, etc.
ぼくはまるで気ちがいのように彼女を愛していた! なぜ人間は恋をするのだろう? この広い世界の中でもはや一人の人間しか眼に映らず、胸にはもはやたった一つの思いしかなく、心にはただ一つの望みしかなく、口にするのはただ一つの名前だけだ。しかもこの名前は、絶えず浮かんでくる、泉の水のように、魂の奥底から唇に浮かんでくるのだ。そしてそれを口に出して言い、繰り返して言い、到るところで、まるでお祈りの文句のように絶え間なく呟きつづけるのだ。まったくもって不思議なものさ。


(J4) 山田(枯) 1904, 1999
『私は彼女(あれ)を狂(きやう)するやうに愛(あい)してゐたのです。何故(なぜ)人は愛するのでせうか、何故でせうか。世界の中(うち)の唯(ただ)一人(ひとり)を見そめて、唯一人の事を考へ、心中(しんちう)で唯一人を焦(こが)れ、唯一人を口にしてゐるのは何(なん)と奇妙(きめう)ぢやありませんか。その唯一人の名が始終(しじう)浮(ゝか)んで來(く)る、丁度(ちやうど)靈魂(たましひ)の底から湧いて來る泉(いづみ)の水(みづ)のやうに唇から溢れて、幾度(いくたび)も/\繰返(くりかへ)し、何處(どこ)へ往(い)つても絕えず祈禱(いのり)のやうに囁(さゝ)やいてゐるのは何(なん)と奇妙(きめう)ぢやありませんか。』

  • モウパツサン=著 山田枯柳(やまだ・こりゅう)=訳 「夢かあらぬか」
  • a. は b. を複製したもの。引用は a. 大空社版 1999 に拠りました。ルビを一部省略しました。

(J5) 厨川 1903, 1999
 もの狂ほしきまで、われはかの君を戀ひたり。
 そもいかなれば人は戀ほるにや。戀ほるは何の故ぞ。げにも奇(く)しきかな、この世にして見るもの唯だひとつ、こゝろに思ふも唯だそのひとつ、胸のなかなる願ひさては口にのぼす名さへ、またこの一つの外はあらず。あはれその名、絕ゆる間もなく心に浮び、靈の底より湧きくる水のやうにのぼりきて、口にかたり、繰りかへしてはまた繰り返へし、祈禱(いのり)のやうに、いづくにもさゝやきて、やむ事を知らず。


 Audio 1 
英語版オーディオブック(朗読) Audiobook in English

Uploaded to YouTube by FULL audio books for everyone on 8 Oct 2012. Audio courtesy of LibriVox.


■英訳 Translations into English

(E1) Translator unknown
"I had loved her madly!

"Why does one love? Why does one love? How queer it is to see only one being in the world, to have only one thought in one's mind, only one desire in the heart, and only one name on the lips--a name which comes up continually, rising, like the water in a spring, from the depths of the soul to the lips, a name which one repeats over and over again, which one whispers ceaselessly, everywhere, like a prayer.


(E2) Translator unknown
"I had loved her madly! Why does one love? Why does one love? How queer it is to see only one being in the world, to have only one thought in one's mind, only one desire in the heart, and only one name on the lips; a name which comes up continually, which rises like the water in a spring, from the depths of the soul, which rises to the lips, and which one repeats over and over again which one whispers ceaselessly, everywhere, like a prayer.

  • Was it a dream? from The Works of Guy de Maupassant, Volume 3 (of 8) by Guy de Maupassant
  • E-text at Project Gutenberg

■イタリア語訳 Translation into Italian

L'avevo amata perdutamente! Perché si ama? Non è una cosa bizzarra non veder nel mondo null'altro che un unico essere, non aver più nella mente che un solo pensiero, nel cuore che un solo desiderio, sulla bocca che un solo nome: un nome che affiora continuamente, che affiora come l'acqua di una fonte dal profondo dell'anima, un nome che viene sulle labbra e che si pronuncia, si ripete, si mormora senza tregua, dovunque, come una preghiera?


■スペイン語訳 Translation into Spanish

¡La había amado locamente!

¿Por qué se ama? ¿Por qué se ama? Cuán extraño es ver un solo ser en el mundo, tener un solo pensamiento en el cerebro, un solo deseo en el corazón y un solo nombre en los labios... un nombre que asciende continuamente, como el agua de un manantial, desde las profundidades del alma hasta los labios, un nombre que se repite una y otra vez, que se susurra incesantemente, en todas partes, como una plegaria.


 Audio 2 
「死せる女」 フランス語原文のオーディオブック(朗読)
La Morte: An audiobook in the French original
Uploaded by azuhyde on Jul 7, 2011


■フランス語原文 The original text in French

Je l'avais aimée éperdument ! Pourquoi aime-t-on ? Est-ce bizarre de ne plus voir dans le monde qu'un être, de n'avoir plus dans l'esprit qu'une pensée, dans le cœur qu'un désir, et dans la bouche qu'un nom : un nom qui monte incessamment, qui monte, comme l'eau d'une source, des profondeurs de l'âme, qui monte aux lèvres, et qu'on dit, qu'on redit, qu'on murmure sans cesse, partout, ainsi qu'une prière.


■邦題の異同 Variations of the title translated into Japanese

  • 一場の夢?」………長谷 1977
  • 死せる女」…………山田(登) 2009
  • 死んだ女」…………新庄 1964, 1965, etc.
  • 夢かあらぬか」……山田(枯) 1904, 1999
  • 夢なりしか」………厨川 1903, 1999

■外部リンク External links


■更新履歴 Change log

  • 2015/04/11 英語版オーディオブックの YouTube 画面を追加しました。
  • 2012/08/29 フランス語原文のオーディオブック(朗読)の YouTube 画面を追加しました。
  • 2009/10/28 山田登世子=訳 2009/10/10 と、その表紙画像を追加しました。また、「邦題の異同」の項を新設しました。

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Monday, 11 May 2009

Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, 1852-1854 『ペリー艦隊日本遠征記』『ペリー提督日本遠征記』『ペルリ提督日本遠征記』

■はじめに Introduction

ヨーロッパ各国も日本を開国させようとしている。だが、これまでのところ成功した国はひとつもない。わがアメリカは連中の二の舞を演じてなるものか。――強固な意志と冷静な判断力をもつペリーは、欧州各国の失敗の原因を分析する……。


■西から見た東 - 日本の帆掛け舟、ウィリアムズ二等水兵の墓
 Facing "East": A Japanese junk & Private Williams' gravestone in Shimoda.

↓ Click to enlarge ↓
Japanese_singlesail_junk Simoda_grave_burial_ceremony_4

『ペリー提督日本遠征紀』原書全3巻に収録されている図版の大半は、ヴィルヘルム(ウィリアム)・ハイネ という男が描いた。ドイツ生まれでアメリカに亡命した画家・旅行家・作家だ。ハイネは遠征のビジュアルな公式記録を残すため、ペリー艦隊の公式アーティストとして抜擢され随行した。水彩の原画はリトグラフにして複製された。なお、日本における外国人墓地の歴史については、横浜外国人墓地の このページ を参照。

   Left 日本の帆掛け舟 威圧感のある米海軍の蒸気船「黒船」とは対照的。
   Right 遠征隊員の埋葬 滞日中にペリーの部下数名が命を落とした。
      日本側は「異人」が下田の土に還ることを許した。墓は今も玉泉寺に
      ある。米国側は儀式に「異教徒」たる仏僧が加わることを拒まなかった。
   Image sources: Black Ships & Samurai MIT Visualizing Cultures


■東から見た西 - 黒船は悪魔の船
 Facing "West": Black Ship as Darkness Incarnate

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Black_ship_monster_large_3 Black_ship_screen

日本側では、公式記録用に政府(=幕府)が画家や版画家を雇っていたという事実は確認されていない。民間人が描いた作品なら、さまざまなものが残っている。作者の大半は名前も伝わっていない。「西から見た東」の公式画よりも、イマジネーションを最大限に駆使して自由に描いた「東から見た西」のほうが、視覚的には断然おもしろい。

   Left 南蛮夷狄 黒い蒸気船はほとんど文字どおり「悪の化身」として描かれた。
   Right ペリー渡来絵図貼交屏風 東京大学史料編纂所所蔵 日本語解説
   Image source: Black Ships & Samurai MIT Visualizing Cultures


■黒船絵巻 - スライドショー
 Black Ship Scroll - Slideshow

MIT Visualizing Cultures というサイトにある、このスライドショーは必見。横長の絵巻(=スクロール)を、鮮明な画像で右端から左端までゆっくりと順に自動的に、ぜんぶ繰り広げて(=スクロールして)見せてくれる。先送りや巻戻しも可能。美術館で鑑賞している気分。類似の展示は、たとえば 横浜開港資料館キッズページ にもあるが、サイトデザインの完成度は比較にならない。

The Black Ship Scroll (1854) スライドショーを見る Watch the Slideshow

Black_ship_scroll
クローズアップしたい場合は こちら で見たいところをクリック。
Black Ships & Samurai. MIT Visualizing Cultures

■日本語訳の表紙/扉画像 Covers and a title page of Japanese translations

a. オフィス宮崎=編訳 『ペリー艦隊日本遠征記(上)』(全2冊) 万来舎 2009-04
  原書Vol. 1を二分冊に収録。1997年の栄光教育文化研究所刊 3巻セット
  再編集したもの。詳細は ここ
b. 土屋喬雄+玉城肇=共訳 『ペルリ提督日本遠征記1』(全4冊) 岩波文庫
  1948-08-15 原書Vol. 1の訳。
c. 鈴木周作=抄譯 『ペルリ提督日本遠征記』 大同館 1912-08-15(明治45)
  原書Vol. 1の抄訳。次の2つのリンク先で全ページの複写画像を閲覧できる。
     1. Brown University Library, Center for Digital Initiatives
     2. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
  2. は白黒で一部のページが欠落。1. はカラーで操作性に優れ、文字・図版
  ともはるかに鮮明。

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a. Perry_kantai_nihon_enseiki_jou b. Peruri_nihon_enseiki c. Suzuki_peruri_teitoku_nihon_enseiki

■日本語訳 Translation into Japanese

(1) オフィス宮崎 1997
(……)彼はまた、通交の障壁を打ち破るためのこれまでの諸国の努力をつぶさに調べ、その失敗の原因と思われる点にも気づいた。

・ 当時、入国を求めていた国々の、政治的状況における特殊事情。
・ 各国が互いに敵対し、邪魔をし合っていたこと。
・ 使命を託された人々の中に見られる、勇敢な民族を脅して自国の希望に従わせようとするような、無礼とはいわぬまでも、軽率なふるまい。
・ 追従的な卑屈さと毅然とした和解の精神とを難なく識別し、慈悲と正義は行なうが、凌辱的な、あるいは非道なことにはいっさい従わないという、日本人の真の性向に対する誤解。

こうしたことが、それまでなされた努力のうちに大なり小なりはっきりと見いだされる失敗の原因であるように思われたのである。

   第1章
   加藤祐三=序文 オフィス宮崎=翻訳・構成 宮崎寿子=制作責任者
    『ペリー艦隊日本遠征記 Vol.1』 全3巻・海図付セット
   定価150,000円(税込)分売不可 栄光教育文化研究所 1997-10-10 
   原書:アメリカ合衆国議会公文書:第1巻US(S)771-79

   原書全3巻をおなじく3分冊とし、多数のカラー図版を含め、内容・装丁ともに
   忠実に再現した初の完訳版。原文には改行と黒丸(・)はありません。
   どちらも tomoki y. が挿入しました。


(2) 大羽 1947, 1953
(……)また、列国の自分たちをしめだしている障壁を破ろうとくり返した努力の跡を研究した結果、大体その失敗のかくれた原因が何であるかを発見した。

・ 第一に許可を要求する国の当時の政治の特殊な状態、
・ 第二に各国相互に妨害しようとしていること、
・ 第三に使節を委任されたものの中に勇敢な国民をおどかして自分の思いどおりにし、ただ従わせようとする横柄な態度、あるいは不見識、
・ 第四に親切と正義をもってあたり屈辱、不正に対してはすこしも容しゃしない男性的な融和の精神と、ただの卑屈なお追従とを日本人はすぐ見やぶる国民であるのに、そういう国民性にたいする誤解

などすべてがこれまでの各国の努力が失敗に終った原因として、多少なりともあとをたどることができるように思われた。

   合衆国海軍省=編 大羽綾子(おおば・あやこ)=訳
   a. 第一章 日本へ使節派遣きまる
     『ペリー提督日本遠征記』 法政大学出版局 1953-07-15 定価390円
   b.ペルリ提督遠征記』 酣灯社(かんとうしゃ)1947
   原文には改行と黒丸(・)はありません。どちらも tomoki y. が挿入しました。
   引用は a. に拠りました。


(3) 土屋+玉城 1935, 1948, etc.
(……)彼はまた、交通を遮斷してゐる障壁を打ち破らうとして繰り返した他の諸國民の努力を注意深く調査して、その失敗の祕密と想はれるものをも發見した。

・ 彼等が入國せんと求めてゐた當時の日本の政治状態中に存した特殊な事情。
・ 互に邪魔し合はうとしてゐた各國民の敵對。
・ 勇敢な民族に無理耶理に自國の望を知らせるやうにとの使命を託されてゐた人の無禮と云へなければ輕率。
・ 追從的な卑屈さと男らしい和解の精神との區別をはつきりとつけ、親切なことと正しきこととは行ふが、凌辱的な、又は邪惡なことは些も犯さないといふ日本人の眞率な性質の誤解。

これらすべてが、今までになされた努力のうちに多かれ少かれはつきりと見出される失敗の原因であるやうに思はれたのであつた。

   土屋喬雄(つちや・たかお)+玉城肇(たまき・はじめ)=訳
   a.ペルリ提督日本遠征記(上)』 臨川書店 1988-01
   b. 第一章 『ペルリ提督日本遠征記1』(全4冊)岩波文庫 1948-08-15
   c.ペルリ提督日本遠征記(上)』(全2冊)弘文荘 1935-03-10(昭和10)
     發行者:反町茂雄 定價十五圓 五百部印行
   a. c. の複製。引用は b. に拠りました。原文には改行と
   黒丸(・)はありません。どちらも tomoki y. が挿入しました。


(4) 鈴木 1912, 1937
(……)提督は、歐州の諸國が此の鎖國の牆壁を打破しようと幾度か繰返した其の努力の跡を詳しく調べて、成程失敗するのも無理がないと思はるる原因を見出したのである。

ち各國民は我先に日本と交通の特權を得ようとて、
・ 相互に排陷したり、妨害したり、
・ 又使節の中には、自分の希望を無理無體にも通さうとて、勇悍なる日本人を威嚇するなど、随分剛慢不遜な振舞をなした者もあつた。
・ 甚しきに至つては、屈辱と名譽との何物なるかを善く知り、正義と親切との上に立つて居る日本人の性格を見損うて、其の面目を潰したり、或は不正の事すら敢へてした者がある。

[原文は次のとおり総ルビ - tomoki y.]

(……)提督(ていとく)は、歐州(おうしゆう)の諸國(しよこく)が此(こ)の鎖國(さこく)の牆壁(しやうへき)を打破(だは)しようと幾度(いくど)か繰返(くりかへ)した其(そ)の努力(どりよく)の跡(あと)を詳(くは)しく調(しら)べて、成程(なるほど)失敗(しつぱい)するのも無理(むり)がないと思(おも)はるる原因(げんいん)を見出(みいだ)したのである。

(すなは)ち各國民(かくこくみん)は我先(われさき)に日本(につぽん)と交通(かうつう)の特權(とくけん)を得(え)ようとて、
・ 相互(あひたがひ)に排陷(はいかん)したり、妨害(ばうがい)したり、
・ 又(また)使節(しせつ)の中(なか)には、自分(じぶん)の希望(きばう)を無理無體(むりむたい)にも通(とほ)さうとて、勇悍(ゆゆかん)なる日本人(につぽんじん)を威嚇(ゐかく)するなど、随分(ずゐぶん)剛慢不遜(がうまんふそん)な振舞(ふるまひ)をなした者(もの)もあつた。
・ 甚(はなはだ)しきに至(いた)つては、屈辱(くつじよく)と名譽(めいよ)との何物(なにもの)なるかを善(よ)く知(し)り、正義(せいぎ)と親切(しんせつ)との上(うへ)に立(た)つて居(ゐ)る日本人(につぽんじん)の性格(せいかく)を見損(みそこな)うて、其(そ)の面目(めんばく)を潰(つぶ)したり、或(あるひ)は不正(ふせい)の事(こと)すら敢(あ)へてした者(もの)がある。

   第一編 日本遠征艦隊の卷 二 使命はペルリ提督に下る
   櫻井省三=校閲 鈴木周作=抄譯
   a.ペルリ提督日本遠征記』 大同館書店 1937-10-20(昭和12)
     定價金貳圓
   b.ペルリ提督日本遠征記』 大同館 1912-06-15(明治45)
     定價金壹圓貳拾錢
   原文には改行と黒丸(・)はありません。どちらも tomoki y. が挿入しました。
   引用は a. に拠りました。


■英語原文 The original text in English

He also found, in a careful examination of the repeated efforts of other nations to break down the barrier that shut them out, what he supposed to be the secret of their failures.

・ Peculiar circumstances in the then political condition of the power seeking admission ;
・ the rivalry of different nations striving to thwart each other ;
・ the indiscretion, not to say arrogance, of some of those entrusted with the mission, who sought to bully a brave people into acquiescence with their wishes ;
・ a misconception of the true character of the Japanese, who readily distinguish between obsequious servility and a manly spirit of conciliation, found on the principle of doing what is kind and just, but submitting, not for an instant, to what is insulting or wrong ;

all these seemed to him to be elements of failure clearly to be traced, in a greater or less degree, in the efforts that had been made.

   Volume 1, Chapter 1, Page 76.
   Narrative of the Expedition of an American Squadron
   to the China Seas and Japan, performed in the years
   1852, 1853, and 1854 under the command of Commodore M. C. Perry,
   United States Navy, by order of the Government of the United States.

   Published by order of the Congress of the United States.
   Washington, Beverley Tucker, Senate printer, 1856. 3 Volumes..
   [Line breaks and bullets were inserted by tomoki y.]


■上の引用箇所を載せた原書ページの複写画像
 Scanned book page containing the excerpt quoted above

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164_053

 [en] Image source

   Volume 1, Chapter 1, Page 76.
   Narrative of the Expedition of an American Squadron
   to the China Seas and Japan, performed in the years
   1852, 1853, and 1854. 3 Volumes.
   The Otis Cary Collection, Digital archive of rare materials.
   Doshisha University Academic Repository.

 [ja] 画像の出典

   同志社大学学術リポジトリ
   貴重書デジタル・アーカイブ ケーリ文庫 所蔵
   『ペリー提督日本遠征記』(全3巻)解説 第1巻 第1章 76ページ


■入手可能なペーパーバック版 Paperback edition in stock

   Narrative of the Expedition to the China Seas and Japan, 1852-1854
   著者: Matthew Calbraith Perry Commodore M. C. Perry
   ペーパーバック
   出版社:Dover Publications
   発売日:2000-09-15
   ISBN-10 : 0486411338
   ISBN-13 : 9780486411330


■その他の外部リンク Other external links

 [en] English
   * Y150: A Grand Exposition for Yokohama's 150 Years
     28 April 2009 - 27 September 2009
     A series of events celebrating the 150th anniversary of the opening of
     the Port of Yokohama
   * Matthew C. Perry - Wikipedia (1794-1858)
   * Wilhelm Heine - Wikipedia (1827-1885)
   * Peter Bernhard Wilhelm Heine - Perry Visits Japan
   * Perry Expedition to Japan, 1852-4 - Baxley Stamps

 [zh] 中國語(繁體字)
   * 開國博Y150: 横濵、150周年大博覧會 (PDF)
     2009年4月28日~2009年9月27日
     横濵開港150周年紀念主題活動

 [ja] 日本語
   * 横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」公式サイト

      Yokohama150_banner_2

   * マシュー・ペリー - Wikipedia (1794-1858)
     - 関連著作
     - 参考文献
   * 伊豆下田 了仙寺
     - 了仙寺宝物館/黒船美術博物館
     - 了仙寺/黒船美術館
     - 黒船コレクション最新目録
     - 了仙寺黒船コレクション映像集
     - 黒船博物館リンク
   * 横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博 Y150」
      会期:2009/04/28~09/27
   * 横浜開港資料館
     - ペリー来航関係 よこはま歴史画像集
   * ヨコスカ人物クラブ - 横須賀市立図書館
      ペリー, 小栗上野介, 中島三郎助, ヴィルヘルム・ハイネ
   * 開国のまち 横須賀
   * 幕末維新ミュージアム 霊山歴史館
     - 館蔵の逸品 >> ペリー提督日本遠征記
   * 伊豆下田 玉泉寺 & ハリス記念館


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2009/05/18 オフィス宮崎=翻訳・構成 1997-10-10 を追加しました。


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■洋書 Books in non-Japanese languages

■和書 Books in Japanese
(1) ペリー+開国

(2) ペリー+黒船

(3) ペリー+日本遠征

  

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Wednesday, 06 May 2009

Remarks of Commodore Perry upon the Probable Future Commercial Relations with Japan and Lew Chew by Matthew C. Perry マシュー・C・ペリー「日本と琉球との通商関係の将来についてのペリー提督の所見」

■はじめに Introduction

日本が資源国だというペリーの認識はまちがっていた。だが、近い将来、日本は東洋の最重要国の一つとなり、日米間の貿易は必ずや盛んになるだろうという彼の予言は見事に的中した。


 News 
黒船来航絵巻を取得 - 大英博物館
British Museum snaps up a historic black ship scroll
Photo
Image source: 大英博物館提供・共同

En_britishmuseumbuysjapanesescroll
Image source: The Guardian

大英博物館は3日、幕末にペリー提督率いる黒船が日本に来航した際の様子を描いた当時の絵巻を取得したと発表した。2013年4月17日から10月まで同博物館で展示する。 ロンドン=共同 2013-04-04
A Japanese scroll showing in meticulous detail the arrival of the US fleet led by Commodore Matthew Perry in 1854 has been acquired by the British Museum. The Guardian, 2013-04-02


 The East looks at the West 
東から見た西 - ペリー提督の肖像 Perry in the eyes of the Japanese

↓ Click to enlarge ↓

Perry_portraits_2

むかし「紅毛碧眼/こうもうへきがん」という言葉があった。上の画像をクリックして拡大図をご覧いただきたい。ペリーの「碧眼=青い目」をよく確かめずに描いた絵師は、まちがえて虹彩ではなく白目(しろめ)の部分を青く塗っている(左の2枚)。また、提督は右から2枚めでは「天狗」と化し、いちばん右の絵では文字どおり「毛唐/けとう」 hairy barbarian の姿をしている。

   Image source: Black Ships & Samurai
   Massachusetts Institute of Technology, Visualizing Cultures


 The West looks at the East 
西から見た東 - 1854年3月8日 二回目の来航 横浜上陸
The Landing at Yokohama, March 8, 1854.

↓ Click to enlarge ↓

Heine_landing_at_yokohama
Landing at Yokohama (1854) by William Heine (1825-1885). Color on paper. 64x89.3cm Image reproduced from Black Ships & Samurai MIT Visualizing Cultures

原画:ペリー提督・横浜上陸の図 ハイネ原画による石版画 所蔵:横浜開港資料館
上記リンク先のMITサイトから複製された上の画像の出処は次の本: 『資料が語る横浜の百年 : 幕末から昭和初期まで』 横浜開港資料館+横浜開港資料普及協会=編 横浜開港資料普及協会=発行 1991-06


 Map 
ペリーによる中国海域および日本への遠征 (1852, 1853) の航路
A map of Perry's journey to the Far East
Map_of_perrys_journey_1852_2
The map drawn by Ian Agnew. Image source: Perry & the Trip to Japan The Fitzwilliam Museum, University of Cambridge


 Book covers, etc. 
関連書の表紙/扉画像およびポスター
Covers and a Title Page of related books and a Poster

↓ クリックして拡大 Click to enlarge ↓

a. A_perry_kantai_nihon_enseiki_jou b. B_university_of_tokyo_mit_peruri__p c. C_kishi_toshimitsu_perry_no_shiroha

d. D_perry_narrative_of_the_expedition e. E_perry_kantai_daikoukaiki f. F_inoguchi_takashi_ga_yomitoku

g. G_perry_teitoku_nihon_ensei_nikki h. H_peruri_nihon_enseiki i. I_suzuki_peruri_teitoku_nihon_ensei


 Title page 
『ペリー提督日本遠征記』原書第1巻の扉
Title page of the original edition of The Narrative of the Expedition to the China Seas and Japan, 1852-1854. Volume 1.

↓ Click to enlarge ↓

a. Narrative_title_page b. Hawk_kyoto_gaikokugo_daigaku c. Perry_narrative_doshisha

Copies a. and b. were published by order of the Congress of the United States, Washington: A.O.P. Nicholson, Printer. Copy c. was published by order of the Congress of the United States, Washington: Beverley Tucker, Senate Printer. All three copies were published in 1856.


■日本語訳 Translation into Japanese

条約締結交渉を行なった日本の諸侯の論点は理にかなったものだった。また彼らの誠実さは、アメリカ艦隊が日本を離れる前に、最も目障りな法律のいくつかが撤廃あるいは破棄されたことから十分立証される。例えば、以前は偶然にしろ故意にしろ、日本の地を離れた者は死罪を申し渡されていたが、現在はこれが撤廃されている。外国人とのいかなる物々交換もまかりならぬという法律も廃止された。また日本の帆船を建造する際にはすべて、船尾の低い全く同一の型と艤装のものでなければならぬとし、意図的に外洋航海には危険な船を造るよう定めた*奇妙な法令も廃止された。同様に寛容になることをめざしたさまざまな政策転換が行なわれた。このことからも、あまり年を経ずして、日本が東洋の中で最も重要な国家の一つに数え挙げられるようになり、豊かな資源をもつ同国の生産物とわれわれの製品の多くが交換される有益な貿易関係が成立することは疑う余地がない。 ― M・C・P

* 奇妙な法令 大船建造の禁。嘉永六年(1853)九月に解除された。

   「日本と琉球との通商関係の将来についてのペリー提督の所見」
   『中国海域および日本へのアメリカ艦隊遠征記』(全3巻)第2巻 所収

   上の意見書の校注者はM・W・スティールと太田昭子。
   翻訳文は、太田がまず作成し、これをスティールが補訂して整えた。
   tomoki y. が次の本から抜粋して引用した。

   加藤周一〔ほか〕=編 田中彰(たなか・あきら)=校注
    『日本近代思想大系1 開国』 岩波書店 1991-01-23
   I. 開国勧告と黒船来航 2. ペリー提督意見書


■英語原文 The original text in English

The arguments of the Japanese princes who negotiated the treaty were certainly reasonable enough, and their sincerity was sufficiently proved by the fact that a few of the most obnoxious of the laws of the empire were repealed or set aside before the departure of the American squadron ; such, for instance, as the abrogation of that which inflicted the punishment of death upon all who, whether by accident or design, found themselves separated from their country ; another which prohibited the slightest barter with strangers, and the more singular decree which required that all Japanese vessels should be constructed upon one precise model and rig, with open sterns, thus purposely rendering them unsafe for ocean navigation. Other changes, tending to the same liberal object have since taken place, and it may be safely predicted that many years will not elapse before this magnificent country will be numbered amongst the most important of the eastern nations, with which a profitable trade will be established by the interchange of many of our manufactured articles for the products of a country already possessed of great resources. -M.C.P.

   Remarks of Commodore Perry upon the Probable Future
   Commercial Relations with Japan and Lew Chew.

   Narrative of the Expedition of an American Squadron
   to the China Seas and Japan, Volume 2.


■英語原典の書誌情報詳細 Bibliographic details of the original source in English

  • Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan, performed in the years 1852, 1853, and 1854 under the command of Commodore M. C. Perry, United States Navy, by order of the Government of the United States.
  • Published by order of the Congress of the United States. Washington, Beverley Tucker, Senate printer, 1856. 3 Volumes. (The excerpt above is taken from Volume 2, Page 186)

■電子複写本 Scanned book

 [en] Description in English

  • Scanned book Vol. 2 is here at The Otis Cary Collection, Digital archive of rare materials, Doshisha University Academic Repository.
  • Scanned page containing the above excerpt is here.

 [ja] 日本語による詳細

  • 電子複写本の第2巻は、同志社大学学術リポジトリ 貴重書デジタル・アーカイブ ケーリ文庫のなかの ここ にある。
  • 上に引用した箇所を含むページは ここ にある。

■入手可能なペーパーバック版 Paperback edition in stock


■マシュー・C・ペリーに関連する画像ギャラリー
 Galleries of images related to Matthew C. Perry

次の各リンク先は画像も解説もすばらしく、サイトのデザインも洗練されている。すぐれた史料のコレクションは米国東部や英国の名門大学の図書館・博物館に集中しているという印象を受ける。それとも、私が日本語と英語以外の言語をあまり読めないので、英語圏以外に良いものがあっても見つけられないだけの話なのか?


■関連サイト A Related website

[en] English
On July 8 (lunar June 3) of 1853 (Ka'ei 6), the U.S. East India Fleet, led by Commodore Matthew Calbraith PERRY, dropped anchor off Uraga in Edo (Tokyo) Bay, and asked the Japanese to accept a missive from President Millard FILLMORE addressed to the Japanese Emperor relating to U.S.-Japanese amity and commercial traffic ( . . .)

   The National Diet Library's Online Gallery
   Modern Japan in archives: 100-year history from the opening of the country
   to the San Francisco Peace Treaty
   Chapter 1. Initial Steps toward a Constitutional State
   1-1 Opening of the Country - Dawn of the Modern Era

[ja] 日本語
嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、ペリー(Matthew Calbraith Perry)の率いる米国東インド艦隊は浦賀沖に投錨し、日米間の友好と商業的交通に関する国書の授受を申し入れた(……)

   国立国会図書館 電子展示会
   「史料にみる日本の近代 -開国から講和まで100年の軌跡-
   第1章 立憲国家への始動
   1-1 開国―近代の幕開け


■その他の外部リンク Other external links

 [en] English
   * Y150: A Grand Exposition for Yokohama's 150 Years
     28 April 2009 - 27 September 2009
     A series of events celebrating the 150th anniversary of the opening of
     the Port of Yokohama
   * Matthew C. Perry - Wikipedia (1794-1858)

 [zh] 中國語(繁體字)
   * 開國博Y150: 横濵、150周年大博覧會 (PDF)
     2009年4月28日~2009年9月27日
     横濵開港150周年紀念主題活動

 [ja] 日本語
   * 横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」公式サイト

      Yokohama150_banner_2

   * マシュー・ペリー - Wikipedia (1794-1858)
     - 関連著作
     - 参考文献


■更新履歴 Change log

  • 2013/04/06 大英博物館が黒船来航絵巻を取得したというニュース記事を追加しました。
  • 2009/05/06 「ペリー提督意見書」日本語訳の書誌情報を補足しました。

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(2) ペリー+黒船

(3) ペリー+日本遠征

  

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Monday, 04 May 2009

U.S. Secretary of State Byrnes' Reply to Japanese Surrender Offer ポツダム宣言受諾に関わる「バーンズ回答」

■はじめに Introduction

保阪 昭和20年8月6日の広島への原爆投下、9日未明のソ連による対日戦軍事発動、そしてやはりこの日の長崎への原爆投下ということで、8月9日の午後11時50分から、宮中の地下防空壕内で御前会議が開かれます。ここで天皇は東郷茂徳外務大臣らが主張する受諾派に賛意を示して受諾が決定するわけですが、この会議で国体護持が明確ではないとの統帥部の主張を入れて、あらためてスイスを通じてアメリカ政府に問い合わせをすることになった。

アメリカの国務長官バーンズの名による回答は、日本時間の12日午前零時45分にアメリカのラジオ放送を通じて流されてきます。(略)一般に「バーンズ回答」といわれて定着しています。

「バーンズ回答」は全部で五項目あるのですが、第一項の原文は(……)

   第七章 昭和史の虚実に迫る
   3. ポツダム宣言受諾をめぐるミステリー|「バーンズ」回答の訳文

  • 保阪正康(ほさか・まさやす)+広瀬順皓(ひろせ・よしひろ)=著 『昭和史の一級史料を読む』 平凡社新書 (2008-05-15) 263ページから抜粋

■背景 The Background

The Allied response was written by James F. Byrnes and approved by the British, Chinese, and Soviet governments, although the Soviets agreed only reluctantly. The Allies sent their response (via the Swiss Political Affairs Department) to Japan's qualified acceptance of the Potsdam Declaration on August 12. On the status of the Emperor it said ( . . . )


■ポツダム会談とバーンズ国務長官
 The Potsdam Conference and Secretary of State Byrnes

後列右から二人めが「バーンズ回答」を書いたジェームズ・F・バーンズ米国務長官。Image source: James F. Byrnes - Wikipedia (1879-1972)

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Potsdam_conference_13

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■「バーンズ回答」日本語訳の異同
 Variations of Byrnes' reply translated into Japanese

(J1) 「従属する」 - 大月書店刊 『資料日本占領』 の訳
天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏の時点から連合国最高司令官に従属する(……)。

   敗北後における米国の初期の対日方針 (SWNCC150/2)
   1945年8月12日
   国務・陸軍・海軍三省調整委員会草案
   A 一般条項
   II 連合国の権限


(J2) 「従属サル」 - 陸軍・宮崎周一の訳
日本ハ降伏ノ瞬間ヨリ日本政府及日本 天皇ハ(……)連合国最高指揮官ニ従属サルヘキモノトス(……)。

   作戦秘録(下) 昭和20年8月12日


(J3) 「制限の下に置かるる」 - 外務省の訳
降伏の時より天皇及び日本国政府の国家統治の権限は(……)連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす。


■「バーンズ回答」の英語原文 The original text of Byrnes' reply

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Allied_powers_3_3

   Source of the scanned image: Swiss Diplomatic Documents (DDS)

"From the moment of surrender the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the State shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers ( . . . )"


■「バーンズ回答」の英語原文を収めた電子テキスト各種
 E-text sources of Byrnes' reply in its original English


■"Subject to" をどう訳すか?
 ポツダム宣言受諾派(外務省)と戦争継続派(軍部)とのせめぎあい
 How to translate "subject to" into Japanese?
 The Foreign Ministry vs The Military

冒頭に述べたとおり、1945年8月9日の時点で、天皇の判断によりポツダム宣言の受諾はすでに決定していた。決めた以上は、一刻も早く戦争を終わらせなければいけない。

そういう考えのもとで政府および外務省は「バーンズ回答」文中の降伏後の天皇の地位に関する記述の翻訳に悩んだ。なぜならば、天皇の地位・権限が連合国の権限に服従すると「直訳」してしまっては、戦争継続派の反発を招くことは必至だったから。

そこで、なんとか穏当な表現に「修正」ないし「意訳」しなければいけない。結局、外務省は「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は(……)連合国最高司令官の〝制限の下に置かるる〟ものとする」という訳を考え出した。

  • 以上、この項の記述は保阪正康+広瀬順皓=著 『昭和史の一級史料を読む』 平凡社新書 (2008) に拠って、tomoki y. が自分なりに咀嚼(そしゃく)して書いたつもりのもの。誤解や不正確な点などがあればご指摘ください。

■関連資料 SWNCC 150/2: A Related document

[en] English
SWNCC 150/2 of August 12, 1945 is a basic policy paper regarding Japan submitted by the U.S. Department of State to the Subcommittee for the Far East (SFE) under the State-War-Navy Coordinating Committee (SWNCC). The original document is stored at the U.S. National Archives and Records Administration, and microfilm is stored at the National Diet Library.

   The National Diet Library's online exhibition
   "Birth of the Constitution of Japan"
   Documents with Commentaries
   Part 1 Military Defeat and Efforts to Reform the Constitution
   1-5 U.S. Initial Post-Surrender Policy for Japan
   United States Initial Post-Defeat Policy Relating to Japan (SWNCC150/2)
    - Scanned image
    - E-text


[ja] 日本語
米国国務省が国務・陸・海軍三省調整委員会(SWNCC)の極東小委員会に提出した1945年8月12日付けの対日政策の基本文書 SWNCC150/2。原本は米国国立公文書館が、マイクロフィルムは国立国会図書館が所蔵する。

   国立国会図書館 電子展示会「日本国憲法の誕生
   資料と解説 第1章 戦争終結と憲法改正の始動
   1-5 米国の「初期対日方針
   敗北後における米国の初期の対日方針 (SWNCC150/2)
    - 原本の複写画像
    - 電子テキスト


■終戦の詔書 1945年8月14日
 Imperial Rescript of the Termination of the War, August 14, 1945

拡大画像と解説は国立国会図書館ウェブサイト内の ここ にある。
Larger images and commentaries are here at the National Diet Library website.

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Shusen_shosho_3

■その他の外部リンク Other external links

Major Problems of United States Foreign Policy 1950-1951.
Published by The International Studies Group of the Brookings Institution.

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Sunday, 03 May 2009

George Clooney - Interviews 『インタヴューズ』 ジョージ・クルーニー

■本とカレンダー Books and a Calendar

Left モーリッツ・フォン・ウースラー 『インタヴューズ』 三修社 (2006)
Centre 100 Fragen an. by Moritz von Uslar. Kiepenheuer & Witsch Gmbh (2004) ドイツ語版原書
Right George Clooney 2010 Calendar. RS (2009-07-01) 2010年版カレンダー

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Moritz_von_uslar_interviews  Moritz_von_uslar_100_fragen_an  George_clooney_2010_calendar_2

■はじめに Introduction

アメリカの映画スター/二枚目俳優ジョージ・クルーニーへの100の質問。あたえられた時間は15分。つまり9秒に1問のスピードで答えてもらわなければいけない。聞き手はドイツのジャーナリスト兼作家モーリッツ・フォン・ウースラー。

インタビューは2003年3月8日、映画の宣伝のためクルーニーが訪れていたベルリンで行なわれた。記事は、ほかの有名人へのインタビューとあわせてシリーズで「南ドイツ新聞マガジン(=SZマガジン)」に掲載され、2004年に本となって出版された。

日本語版は田丸理砂氏による監訳で2006年に三修社から出版された。ドイツ語版原書とくらべると、収録されている有名人の顔ぶれに、すこし入れ替えがある。ジョージ・クルーニーぶんの訳者は浜口可奈子氏。


■インタビュー The Interview

本文中の疑問を感じる箇所に * 印を付けた。下にコメントを述べる。- tomoki y.

SZ-Magazin: 1 Lee oder or Levi's? リー、それともリーヴァイス?
Clooney ジョージ・クルーニー: Levi's リーヴァイス。

2. Bud oder or Miller? バドワイザー、それともミラービール?
Clooney: Miller ミラー。

3. Katzen oder Hunde? Cats or dogs? 猫、それとも犬?
Clooney: Hunde. Dogs 犬。

4. Männer oder Frauen? Men or Women? 男性、それとも女性?
Clooney: Frauen. Women 女性。

5. Wie alt is Ihr ältestes Jeans-Hemd? How old is your oldest jean jacket? あなたの持っているいちばん古いデニムシャツは何年ものですか?(*1)
Clooney: 15 Jahre. Aus Kentucky. 15years old from Kentucky 15年。ケンタッキーで買った。

6. Die beste Boutique für Cowboy-Kleidung im Westen? The best place to buy cowboy clothes in the West? 西アメリカで一番のカウボーイブティックは?(*2)
Clooney: Die beste Boutique für Cowboy-Kleidung...nein. Ich passe. The best place for cowboy clothes, no- pass. 一番のカウボーイブティック…わからないよ。パス。

7. Kann ein Mann etwas auf der Schulter durch die Gegend tragen, das so sexy ist wie ein Sattel? Can a man wear something around his shoulders that looks as sexy as a saddle? [What a stupid question!!!] 男性が肩にしょって何かを運ぶとして、鞍と同じくらいセクシーなのは?
Clooney: Ja, ein Pferd. Yes, a horse. うん。馬かな。

Gelächter. Clooney lacht auch. Die gelegenheit, Atem zu holen. Bis hierher sind etwa 15 Sekunden vergangen. Der schreck darüber, dass es klappt, dass man mit diesem Supermann exakt den Kram besprechen kann, den man für richtig hält. Toll. Seine Weiber-Wüsten-Whisky-Stimme. Brrr.....Echt: Mann, er schaut vergnügt, zu Späßen aufgelegt, auch verwundert darüber, dass es nicht sofort weitergeht. Zeit!

Lots of laughter, Clooney laughs too. The situation is that 15 seconds have passed since that last questions- hold your breath! The worry is for it to work he has to be a superman for it to run exactly as planned. Good, that sexy voice... worrrr. Really- he looks amused, cheeky and is worndering why there is a standstill- Time!!! [again hard to translate]

爆笑。クルーニーも笑う。ここまでで約15秒。このスーパーマンと、彼のイメージにぴったりなことを話せたのは驚きだ。すばらしい。女を参らすウィスキー声。ぶるっとする。本当に、彼は、冗談を言いたそうな楽しげな様子で、話がすぐには続かないのを不思議そうに見ている。

8. Echt wahr, das jedes Abendessen bei Ihnen immer mit 3 Vorspeisen und einem großen Topf Spaghetti Bolognese beginnt? Is it true that you have 3 entrees and a big bowl of spaghetti to start your meal? ディナーでは三つの前菜と、鍋ひとつ分の大きなミートソース・スパゲッティから食べ始めるというのは本当ですか?(*3)
Clooney: Wenn ich in Italien bin, ja. When I'm in Italy, yes. イタリアにいるときは、そうだよ。

9. Schämen Sie sich, dass Sie nicht rauchen? Are you ashamed that you no longer smoke? タバコを吸わないことを、かっこ悪いと思う?
Clooney: Bisschen, immer bis zum nächsten Morgen. A bit, especially the next morning. 少しだけ。いつも次の日の朝までだけど。(*4)

10. Ihr Lieblingsjahrzehnt des letzten Jahrhunderts? Your favourite time in the last 100 years? ここ100年のうち、あなたがいちばん好きな10年は?
Clooney: In den 60ern gab es die meisten Veränderungen. The 60s had the most changes. 60年代には特にいろいろな変化があった。(*5)

[この調子であと90問つづくが省略 - tomoki y.]


■疑問点 Questions

*1
英訳は jean jacket、日本語訳デニムシャツ。両者は別物ではないだろうか? どちらかの訳がまちがっていると思われる。Jeans-Hemd を独英辞書で引くと denim shirt と出る。自信はないが、日本語訳のほうが正しいような予感がする。

*2
西アメリカ という日本語訳は、まずい。「西部」「米国西部」「アメリカ西部」「合衆国西部」などと訳すべきだろう。要するに西部劇の西部である。

*3
英訳の entrees は、正しくは starters だと思われる。

*4
英訳の especially the next morning は、正しくは always until the next morning もしくは always until the morning after だと思われる。

*5
英訳の Your favourite time は、より正確には Your favourite decade だと思われる。


■インタビュー記事の出典 Sources of the interview

 [de] Deutsch
   * 100 Fragen an. by Moritz von Uslar. Kiepenheuer & Witsch Gmbh (2004)
   * George-Clooney.de (PDF)

 [en] English
   * George-Clooney.de (PDF)

 [ja] 日本語
   モーリッツ・フォン・ウースラー=著 田丸理砂(たまる・りさ)=監訳
   青木亮子+粂田文+宗宮朋子+浜口可奈子+渡辺幸子=訳
   『インタヴューズ』 三修社 2006-08-20


■ジョージ・クルーニーの国連安保理でのスピーチ
 George Clooney - United Nations Security Council Address on Darfur
 delivered 14 September 2006, New York City

クルーニーがノーベル平和賞受賞者の作家・活動家エリ・ヴィーゼルとともに国連安全保障理事会で行なったスピーチ。アフリカ・スーダン西部のダルフール地方でつづく大量虐殺をやめさせるために、国連が強力な関与をすることを求めた。(2006-09-14 ニューヨーク)


■『ダルフール・ナウ』予告編 Darfur Now trailer

Darfur Now, a 2007 documentary film examining the genocide in Darfur, Sudan. Darfur Now official site. More info at IMDb and Wikipedia

『ダルフール・ナウ』は2007年公開のドキュメンタリー映画。クルーニーも出演している。国内では2008年、アムネスティ・インターナショナル日本によって大阪で上映されたが、今のところ一般公開はされていない。個人で Amazon.co.uk からDVDを入手してご覧になった方のレビュー記事が ここ にある。輸入版 DVD なら Amazon.co.jp から購入可能。ただし、リージョン1(米国・カナダ)。音声は英語・アラビア語。字幕は英語/スペイン語/フランス語の切替えのみ。


■社会活動家としてのクルーニー Clooney in politics and advocacy

Left 映画『ダルフール・ナウ』のポスター。Poster of Darfur Now.

Right 2008年2月1日ニューヨークで国連平和大使に就任するクルーニー。左は就任式に立ち会った彼の両親。右は国連副事務総長アシャ=ローズ・ミギロ氏。
George Clooney is officially appointed a United Nations Messenger of Peace in New York, 2008-02-01. To the left of Clooney are his parents. To the right of Clooney is Deputy Scretary-General Dr. Asha-Rose Migiro. More info at UN Photo Stories and BBC News. Photo by Getty Images. Image reproduced from Zimbio.

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Darfur_now_poster Clooney_un_messenger_of_peace

■外部リンク External links

 [de] Deutsch
   * 100 Fragen / Uslar, Moritz v. - Ciao! Die Shopping Community
   * Das Beste aus "100 Fragen an ..." - Suite101.de
   * Wackelwackel und Hallo - Wortgestöber.de

 [en] English
   * George Clooney - People.com
   * George Clooney - IMDb

 [ja] 日本語
   * ジョージ・クルーニーのプロフィール
     - ハリウッドセレブ★プロフィール集
   * ジョージ・クルーニー - Wikipedia (1961-  )


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